2016年2月2日(火) リジョイス2月号「あのヒトこのヒト」-平和学と私 ジョイクリゲスト:豊川慎(湘南恩寵教会執事・明治学院大学ほか大学教員)
ほほえみトークでは、月刊誌「リジョイス」との連動企画を行っています。原稿は番組からの抜粋要約となっており、月刊誌「リジョイス」のコラム欄でもご覧になれます。
【Q】信仰告白への道を。
改革派の牧師であった祖父(片山弘二)から幼児洗礼を受け、記念として贈られたのが聖書でした。サーフィンとラグビーに没頭していた中高時代、高校2年に信仰告白をしました。
【Q】「平和学」を志したきっかけは?
戦争を経験した祖父から戦争の悲惨さや平和の大切さを聞いていたことが大きく影響しています。大学で神学を学び、カナダとオランダの大学院ではキリスト教社会政治哲学を専攻して平和や人権の問題などを考えてきました。オランダ留学時に「日蘭和解の会」という対話集会に参加し、今なお戦争の傷が癒えない方々がおられることを知ったことも日本の教会の戦争責任問題への関心に繋がり、戦争と平和の問題に取り組むようになりました。
【Q】わかりやすく教えてください。
平和学(peace studies)は、平和とは何か、いかに実現するのかということを探求する分野です。従来、平和とは戦争のない状況のことだと考えられてきましたが、戦争さえなければ平和かと言えば決してそうではありません。貧困や差別、環境破壊や人権侵害などによって生活や生命を脅かされているとすれば、平和裡に生きているとは言えません。戦争以外の平和を阻んでいる要因を考える必要があり、この点を指摘したのがヨハン・ガルトゥングという政治学者です。ガルトゥングは暴力がない状態こそが平和だと論じ、「直接的暴力」、「構造的暴力」という概念を用いて暴力とは一体何かを再定義しました。「直接的暴力」というのは、戦争や武力紛争などを指し、直接ダメージを与える暴力形態です。「構造的暴力」というのは、貧困や差別、経済格差など社会の中に構造化されている暴力形態を言います。直接的暴力のない世界と共に、暴力の連鎖を生み出している構造的歪みを矯正すること、それが平和学の課題です。
【Q】これからの願いは?
関西学院大学の学部時代の授業で、春名純人先生(灘教会)からアブラハム・カイパーについて教えて頂きました。教会と国家の関係、良心の自由の問題、社会問題などについて論じたカイパーを改革派の一つの伝統として改めて再考したいと考えています。大学での研究と教育を通して、そして教会役員として、また中会の社会問題委員として、改革派のよき伝統を学びつつ、それを継承していきたいと願っています。
平和の実現ということに関して私たちの成し得ることは本当に微々たることかもしれませんが社会の事柄に関心を持ち、祈り、困難さに絶望してしまうことなく、キリストの復活という確固たる希望に基づき、時が良くても悪くても愛と希望の種を蒔き続けていきたいと願うものです。