2015年9月29日(火) ヘアーカットこぼれ話

 猛暑が続いた今年の夏、スッキリと髪もカット。お世話になっている美容師さんと二人のおしゃべりも弾みました。
 その時、初めて聞いた「毛流」(もうりゅう)という言葉。あなたはご存知?一人ひとり違っている髪の毛の流れのことです。これはプロでも即座にわからず手探りでカットしなければならないとのこと。失敗することもあるそうです。ですから「カットが下手ね!」と次から次へとお店を変えてしまうお客様は、結局美容師さんとの良い出会いがなくなって、いつも仕上がりに不満だらけ…。お互いに忍耐しながら一緒に作り上げるという言葉も新鮮でした。
 髪は同じ本数でなく、また頭の形から始まって、毛の流れも全て異なっていますから100人いたら100通り。経験を重ねて速やかに「毛流」を掴むことでプロとしての仕事のよしあしが決まってくるのです。ですからそれを掴むまで、お互いの忍耐が必要なのです。
 「毛流」のお話しを聴きながら、私の胸にイエスさまのおっしゃる言葉が響いて来たのです。聖書を読み始めたころびっくりした箇所です。マタイによる福音書10章26-30節の最後。「…あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。 あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」

 小さな私が生きる今日という日。この髪の毛まで全てご存知のお方がいらっしゃる。髪がどのように流れているのかを全て完全にわかっておられる方がいらっしゃる。まさに「神秘」。私の身近に写実画家の先生がいらっしゃるのですが、先日その個展に伺い写実の世界に見入りました。髪の毛を一本一本そのままに、実にありのままに絵画に表現しています。もちろん技術も巧みですが、彼の内面で創造主なる神様への賛美と畏敬の念が描けば描くほど深くなっていくことでしょう。創造の御業のなんと極めがたいことでしょうか。

 「地はお造りになったものに満ちている。」(詩編104:24)