2015年8月4日(火) リジョイス8月号「あのヒトこのヒト」-沖縄に住むキリスト者として ジョイクリゲスト:兼島義男(那覇伝道所会員・ハレルヤ保育園園長)
ほほえみトークでは、月刊誌「リジョイス」との連動企画を行っています。原稿は番組からの抜粋要約となっており、月刊誌「リジョイス」のコラム欄でもご覧になれます。
【Q】南洋諸島で誕生されたのですね。
父が軍需工場で働いていて1941年にアンガール島で生まれました。その後、4歳で沖縄本島に戻り、両親が子ども7人(わたしは長男)を育てるために一生懸命働いている姿を見ながら育ちました。
【Q】人生を変えてくれたみ言葉を。
1980年は、わたしにとって苦悩の年であると同時に、大きな慰めをいただいた年です。1969年に洗礼を受けましたが、聖書を読めば読むほど、自分の弱さ(罪)が明らかにされ「このような自分は救われないのではないか…」という悩みに押しつぶされそうになっていったのです。しかし、神様はわたしを慰め励まし、救いの確信へと導いてくださいました。
それは、「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」(1コリ15章3,4節)という聖書箇所です。最も大切なことは、福音そのものです。救いは自分の頑張りではなく、一方的な神様の恵みなのだということを教えられました。
【Q】改革派教会との出会いは?
1988年に加入しました。その動機は、「聖書の教理を大事にし、長老主義による教会形成がなされている」ということでした。
聖書が力強く語られ、聖礼典が喜びのうちに執り行われる所に、主イエス・キリストは共におられることを教えられました。
今は家族と共に、神様の生けるみ言葉に養われ、感謝と喜びの中に礼拝を献げています。
【Q】保育園と学童保育での働きを通しての恵みを。
「神様、みこころでないなら計画を取り下げます。どうぞ恐れと不安を取り除いてください」と必死で祈ったことがありました。
それは銀行から2億の借入をする時です。もう還暦を迎えていましたし、恐れと不安に襲われ深夜、悶々として眠れません。その時エレミヤ書29章11節のみ言葉により平安と希望をいただき、将来を委ね、翌年から改築を始めることができました。現在は、園児160名、学童80名の子供たちで賑わっています。
【Q】戦後70年を迎える中での思いを。
沖縄県は、先の戦争で唯一地上戦があり23万人の尊い命が犠牲になりました。戦争体験者の方々のお話を聞くとその悲惨さと命の尊さが強く迫って来ます。国土面積の0.6%しかない沖縄に、軍専用施設の74%が集中しています。基地問題は今も深刻さを増しています。沖縄に住むキリスト者として為政者のため、世界の平和のために祈らされています。