2015年6月30日(火) ことばとこころ
私の本棚にある「にほんご」(福音館書店)。韓国から来日した友人と時々開いて読んでいます。この本は、「読むこと、書くこと」よりも、「聞くこと、話すこと」から始まるのです。以前番組で、「言葉探しの旅」(2011年11月15日放送)のお話をしました。今日を生きる私たち、今この時も、本音で正直に生きたいのに、なんと生き苦しいこの世の中。あきらめと不安に負けそうになりませんか。
「ひとはことばをつかって、
じぶんのきもちを ほかのひとにつたえる。
ひとはことばのおかげで、ほかのひとのきもちを
じぶんのきもちのようにかんじる。
ことばにはいつも きもちがかくれている。
けれど きもちがあんまりはげしくなると
ひとはそれを ことばにできなくなることもある。
わらったりないたり、ひとりぼっちでだまりこんだり。
ぼうりょくを ふるったり…そんなとき、
ことばは こころのおくふかく かくれている。」(P28−29)
言葉探しの旅は、出会いの旅ですね。あきらめて言葉を失ってはいけない。対話を怖れてもいけない。心から語りあうことができなければ自分の居場所はない。そこに真実に生きる自分の道を見出すことができるだろうか。 今日の私の本音の言葉は? 言葉の奥深く隠れている私の正直なこころは? 私たちの生涯に加えられる新たな今日という一日に「こころに響くことば」をあなたにプレゼント。それは私たちを生かすいのちの言葉なのです。
イザヤ書 55章朗読
「傾けて耳を聞き、わたしのもとに来るがよい。
聞き従って、魂に命を得よ。」(イザヤ55:3)