2013年7月16日(火)Solitude -独り居-

 ほほえみ文字放送を始めて5年余り。ネット社会の中でますます不安を煽るような本も出版されていますね。ネットの中での孤独、格差、脳内汚染、悪意…。便利であることが全て良いとは限らない。絶えず新しい情報を洪水のように流し、人間たちは遅れまいと必死に動く中で、インターネットは社会をこれからどのように変えていくのでしょう?期待と不安や心配が入り混じっているようです。

 この文字放送が始まった頃、「子どもが孤独でいる時間(とき)」(こぐま社、エリーズ・ボールディング著、松岡享子訳)という本を読みながらお話したことがあります。25年前に出版されたものですが、最近、また新鮮な想いで手にしています。「ひとりでいること」は仲間がないこと、寂しいことと思ってしまいますが、そうではなく「ひとりでいること」が人間には必要だと語りかけてくるのです。大人にとっても子供にとっても。「それは、自由であること、内へ向うこと、自分自身を発見することのために欠かせない条件であること、人間にはひとりでいる時にしか起こらないある種の成長がある。」と。この訳者は、「子どもにかかわる人たちが、ひとりでも多く、この語りかけに耳を傾けてほしい」と願っています。

 朝の目覚めが早いと「ひとりでいる」様々な恵みを知ります。外気は澄んでいて街はまだ静か。小鳥の声が響く中、今日生きているという自分を見つめます。すると「神様…」という祈りの言葉が出てきます。「ひとりの静けさ」を味わう喜びです。「内なる人が日々新たにされていく。」(2コリント4:16)という聖書のみことばの現実に目覚めるようです。

 さて、この本の27ページを開いてみましょう。

 「Solitude-独り居。なんと美しいことばではありませんか。もしわたしたちが無礼にも,子どもからひとりでいる機会を奪い取ってしまったら子どもたちは、内に秘めている宝や、外で得る経験をどうやって生かすことができるでしょう?また、わたしたちおとなは、どうやってそれを生かせるでしょう?」

 62ページから著者の幼い頃の経験が書かれています。

 「わたしたちは、だれでも、自分が子どものころ、ひとりでいるときに感じた喜びの記憶を、心の奥深くに、大切にしまっているのではないでしょうか。わたしの記憶をたどると、ひとりの少女が見えます。ところは、静かな山の湖です。日は空に高くかかり、少女は、たったひとり、小さな手こぎボートで湖のまん中にこぎ出しています。やっとどうにかオールを操れるようになったばかりの年ごろで、少女はひとりでボートの中にすわり、からだいっぱいに太陽の暖かさを感じています。やさしくボートに打ち寄せる水の冷たさと青さ、湖をぐるっととり囲むモミにおおわれた丘の広大さも感じています。少女の心は、暖かさと、大きさと、沈黙の深さに、はりさけんばかりです。『これが、世界なんだ。これが、わたしの居場所なんだ。これが、喜びなんだ・・・・。』こういうことがすなわち子どもがひとりでいることの果実(みのり)です。自分が誰なのか。何なのか。どこから来たのか。この世界のどこに自分の場所があるのか、を感じること。そして、大宇宙とどのように積極的で安定した関係を結ぶことから、言葉の最も良い意味で万物と『遊ぶ』自由が生まれます。子どもたちが見たり聞いたりすることは、見事に調律された心の琴線の上をあちらこちらと走り、内に蓄えられていた知識と織り合わさって、新たな創造を生み出します。こうして生み出されるものは、数の公式や、難しい社会洞察や、交響楽や、絵画や、詩である必要はありません。美しく秩序ある生活、それを細やかな心を持って生きること。日常の仕事を神の愛のために行うこと。これらはどんな人間でも成し遂げることができる、最も気高い統合のかたちです。」

 本からの語りかけが心に響くのを感じるひとときでした。