2012年11月13日(火)マルタとマリア(ルカ10:38-42)

 ベタニヤ村の二人の姉妹。性格が全く違うこの二人のお話は、今日を生きる私たちの姿とも重なってきます。「なみこさん、いつもお忙しいのね!」と言われることの多い私、このお話を読むたびに「これでいいのかな?いけない、いけない、生きるのに一番大切なことを忘れてはいけない」と自分に問いかけます。

 今年の微笑みキーワードは「ONE」。オンリーワンの私たちが生きるために一番大切なことを「ひとつ」心に刻みたいものです。そうはいっても自分の思うようにはならないストレスは溜まっていくのですよね。あなたの今日はいかがですか?微笑んでなんていられない?
 実は、先日ちょっとお話をしている時Kさんが「私、家では不機嫌で…」というと「私も同感!」とYさん。この忙しい時代の中での生きる苦労は山ほどあって日々そのストレスが襲って来るのです。

 一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。(ルカ10:38-42・口語訳)

 このお話のマルタも不機嫌ですね。「せっかくイエスさまが我が家にいらっしゃってくださったのだから素敵なおもてなしをしたい…それでこんなに忙しいのに…もぅいやになっちゃう!マリヤは何をしてるの!ちっとも手伝わないで!」。ついにマルタの口からは、不満を叫ぶかのように「イエスさま、マリアに何かおっしゃってください!」と責める言葉が飛び出してきます。家事に追われるK子さんも、Y子さんも、私にも、忙しく働く女性達にはこの情景がリアルに迫ってきます。

 でもその時、私はふっと自分の過去を思い出したのです。クリスチャンとして生きるようになって随分変えられた…「不機嫌だった私」が「ご機嫌な私」に変えられた…とつくづく思わされました。また、「困った!」という時にみことばに信頼して、「ピンチはチャンス!」、「ウエルカムトラブル!」と乗り越えていく不思議な力を聖書から頂き続けてきたことを実感し感謝しました。

 さて、このマルタとマリアのお話で一番大切なことは何でしょう?ここは私たち人間の人生に欠かせない最重要な「ONE」をイエスさまが語ってくださっているのです。「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:42・口語訳)。ここを私の本棚にある一冊の本からも学びました。ちょっとご紹介しましょうね。

 「人が人であるかぎり、富んでも貧しくても、若くても年老いても、すこやかでも死の床にあっても、どうしても必要なこと。きょういのちを取られてもそれを取り上げてはいけないと言えるもの。それは主イエスを愛して、その言葉に聞くという一事です。教会の慈善のわざより教えに務めが優先するとか、実践をやめて瞑想に専念せよと、ここから結論すべきではありません。むしろ、慈善にも実践にも、根源にはいつも「主の足もとに座る」ことが必要なのです。」(榊原康夫著「ルカの福音書」P207 いのちのことば社)

 マリヤが「主の足もとに座って聞き入っていた」(ルカ10:39)
この大切な「ONE」をあなたに。きょうを生きる私たち一人一人、聖書に聞き入ることから全ての問題の解決策が導かれていくのですね。  くまだなみこ