2010年11月16日(火)毎日が誕生日
毎日がクリスマス、毎日が誕生日、という童話や絵本がありますね。どちらも子供にとってとっても嬉しい日。その嬉しさが毎日ならばどんなことになるのでしょう?だんだんその感激も喜びもマンネリ化して、ご馳走にも飽きて、せっかくの記念日が台無しになってしまいます。でもこれは、弱い私たち人間幾つになってもみんなそうですね。神さまから頂くのかけがえのない素晴らしい恵みの数々になんと感謝の少ないことでしょう。恵みを数えればなんとたくさんいただいていることでしょうか?
お誕生日、プレゼントを「受けること」ばかりを喜ぶ心から、自分らしくいただいた時間と賜物を「捧げること」を喜ぶ歩みに進んで行きたいですね。「受けるよりは与えるほうが幸い」(使徒言行録20:35)とおっしゃったイエスさまのみことばをお互いに心に刻みたいものです。
今ここに存在している私のいのち、あなたのいのち、地球のいのち、すべて神さまからの贈り物です。番組でもバースディカードプレゼントをしていますが、今日は私のお誕生日。「♪生まれる前から神さまに愛されてきた友達の誕生日ですおめでとう!」というこどもの賛美があって日曜学校で歌います。イエスさまが救い主であることを知って信じて歩む人生をいただいた私は「毎日がお誕生日」ということになったのです。なぜでしょうか?
聖書には私たちが驚く逆転の人生が約束されているのです。
「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。(2コリント4:16)。と語られているのです。そうするとお誕生日を重ねて生きていくことは嬉しくなりますね。「また誕生日なんて…年を取るばかりで何も楽しいこともない」と嘆くことから開放されて、神さまの恵みによって毎日新しくされるのです。
今日も、明日も、新たないのちの始まりです。
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(2コリント4:18)とのみ言葉を思いながら、天の御国を目指して進んで行くのです。
「終わりは新しい始まり」という言葉がありますね。様々な時にこの言葉を思い出します。一つのことが終わるときは、新たなことに取り組む始める時です。でも100歳まで元気で生かされたとしても、やがて誰もが地上生涯の終わりを迎えます。その時イエスさまと共に歩む人生は何歳であっても、終わりではなく天国での始まりを迎えるのです。ヨハネ黙示録21章には新しい天と新しい地について書かれています。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」(黙示録21:3-4)
工藤直子さんの「のはらうた」にしんぴんのあさ、という詩がありますが、神の子として誕生するいのちの恵みの新品の朝を毎日頂けるのですね。あなたにも神さまが新品の朝をくださいます。今日も新品の朝がやって来ましたよ。 くまだなみこ