2010年3月30日(火)グッド フライディ

聖書のおはなし「十字架」(藤城誠治・影絵、野田秀・文)より

あなたがもしそこにいたら、あなたは、イエス・キリストが、自分のために十字架にかかられたことが、よくわかったのではないでしょうか。

その日、ゴルゴタの丘には、三本の十字架が立てられました。十字架は、考えただけでもぞっとする、むごい、おそろしい死刑の方法です。真ん中の十字架には、イエスさまが、その両側には、強盗をしてとらえられた二人の男たちがかけられていました。手と足をくぎづけにされたイエスさまは、血を流しながら苦しみにたえておられました。お顔は青ざめ、はく息は、ひと呼吸するたびにあらくなっていきます。

イエスさまは、悲しそうな目で周りの人たちを見ると、しぼり出すような声で、お祈りをなさいました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」それでも、ほとんどの人たちは、いっせいに、イエスさまをからかって言いました。「お前さんは神の子だろう。奇蹟を起こして、十字架から降りてみろよ。」「そうだ、そうだ。そうすれば、信じてやってもいいぞ。」けれども、イエスさまは、ひとこともお答えになろうともしなければ、十字架から降りようともなさいませんでした。

そんなイエスさまを、不思議そうに見ていたのは、強盗の一人でした。この男は、十字架の上で、やぶれかぶれになっていました。死ぬ時が近づいて、おそろしさでいっぱいだったからです。けれども、イエスさまのお祈りを聞き、その立派なお姿にふれるうちに、自分の心に、あたたかい光のようなものがさしこんで来るのを感じていました。
そのうちにハッと気がついたのです。「この方は罪などないお方だ。それなのに十字架にかかっておられる。だれも相手にしてくれない罪人の私といっしょに十字架にかかっておられる。」男には、はっきりわかりました。「この方は本当は十字架から降りることも出来るのに、私のためにここにいてくださるのだ。そうだ。いつまでもそっぽを向いていてはいけない。イエスさまに信頼しよう。」

男は決心すると、イエスさまの方を向き、心をこめて言いました。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
イエスさまの体は弱り、苦しみはますますはげしくなっていました。でも、イエスさまは、満足そうにうなずくと、しっかりした声で約束してくださいました。「まことにあなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
それはまちがいなく天国の約束でした。

この男と同じように、イエスさまが自分のために十字架にかかってくださったことがわかって、イエスさまを信じる人は幸いです。(いのちのことば社より 現在絶版)  くまだなみこ