2008年11月18日(火)あなたとわたしの生きてる時間 エンディングノート
さて、11月22日は「いい夫婦の日」だそうですね。このメディア伝道を日本で初めてくださったブルノギ宣教師ご夫妻もとっても素敵な「いい夫婦」でした。もう10年以上も前になりますが、帰国され、ゴルフ場で天国へ凱旋された先生を偲んで、夫人をグランドラピッツにお訪ねしたとき、お墓に連れて行っていただきました。横長の墓石で作られた夫婦のお墓、初めて見ました。日本にもあるのでしょうか?指輪がデザインされて、やがて妻もそこに…というお墓です。今お二人はもう神様の御許に帰られました。
私は、真言宗の家に生まれましたから実家のお墓に行くと、ご先祖様の名前が彫ってあります。父の兄弟が、1歳、5歳で亡くなったという記録もありました。こうして自分が生まれて来るまでに、どんな人たちがどんなふうに生きていたのだろうか…いのちの始まりからいのちの終わりまで、私たちは不思議な導きの中を歩んでいると感じますね?寿命は、自分で決めることができませんし、聖書には、そのすべての歩みが神様のご計画の中に導かれているとあります。
「胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々は、あなたの書にすべて記されている。まだその一日も造られないうちから。あなたの御計らいは、わたしにとっていかに尊いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。数えようとしても、砂の粒より多く、その果てを極めたと思っても、わたしはなお、あなたの中にいる。」(詩編139:16-18)
先日「エンディングノート」という言葉を知りました。「遺言状」などといわず、なかなかおしゃれな名付け方。そのノートに自分史を書き込んだり、人生計画を書き込んだり、と使うのだそうです。また、「旅立ち準備ノート」として、家族に伝えたいことや、葬儀の希望なども書き入れておくということもあるでしょう。
今秋「納棺師」の映画がヒットしたそうですが、私がずっと心密かに想うことは、天の御国へ旅立つ納棺の時「ウエディングドレス」を掛けてくださいね、ということ。実は手作りのドレスが大切にしまってあるのです。教会はキリストの花嫁ですから。私のノートにはこんな希望も書けそうです。
秋も深まります。一人で静かな夜にエンディングノートに向かいながら「いのち」の行方を考えたいですね。 くまだなみこ