2008年9月9日(火)あなたとわたしの生きてる時間 エバ(命)
創世記の始めに登場するアダムとエバ。最初の男と女です。女は、「エバ(命)」と呼ばれます。女性だけが命を産み出す者として神様に創造されました。今日も世界中のエバたちが、かけがえのない命を産み出しながら生きている時間の中で様々に思い悩んでいます。
あなたが心に悩むことは何でしょうか?本当の自分を生きていないのでは?ということでしょうか。
9月…初秋になると「誰もいない海」の歌のメロディーが想い出されます。そして、本箱から「海からの贈り物」(アン・モロウ・リンドバーグ著)を手に取ってスタジオに向かう電車の中で読み始めます。島を訪れ、広い砂浜を素足で歩きながら、貝殻を見つけ、全く自由な一人の時間を過ごす著者のようには、とても私たち出来ませんね。でもこの本は女の気持ちを本当によく書き綴ってくれていると思えます。何年たっても新たに読める、そんな一冊。あなたの読書の秋にいかがでしょうか。
最初の日本語訳は1967年、吉田健一訳、1994年には落合恵子訳も出ています。著者も5人の母となった女性ですから大変な忙しさの中に生きていたのですね。「一人の女が自分自身を相手に、人生に関する対話を続けた」(訳者あとがき)とあるように、世界のどこに住んでいても、同じような日常を生きるエバたちの共感を呼ぶのでしょう。
今を生きるエバたちに、いったい何が必要とされているかを、出版から40年も経ったものであるのに鋭く語りかけてくるのです。
特に、「つめた貝」の所を今回読みなおしてみました。「人間の孤独」をテーマにしています。「我々が一人でいる時というのは、我々の一生のうちで極めて重要な役割を果たすものなのである。ある種の力は、我々が一人でいる時だけにしか湧いてこない…女は自分というものの本質を見出すために一人にならなければならない。」そして、昔から女に一つの中心を与える大きな力が教会であったといいます。魂の静寂をいただく時間が教会にはあると。そこで女は自分を捧げ、受け入れられ、泉に再び水が湧くと。
著者が、「恩寵とともに」あるいは「光とともに」歩むということをどのように考えていたのか、私の小さな頭では計りしれません。
私は、一人のクリスチャンとして、エバ(命)として生かされる自分が、本当に必要であると読みながら改めて思わされたのです。あまりにも今の社会は、あれこれと薄っぺらな慰めに満ち満ちていると思いませんか?そんな毎日の中で、一人でいる勇気をなかなか見つけることが出来ません。
エバたちは、聖書のみ言葉をいただき、魂の静寂をいただく必要があるのです。迫りくる日常の雑事をあれこれとこなしながらも、教会に行き、本当の自分を生きるように神によって導かれていくのです。 くまだなみこ