2008年7月15日(火)あなたとわたしの生きてる時間 カイロスの挑戦
自分が変わる「決定的瞬間」が、私たちの生きてる時間の中にはありますね。少し前もこの番組との出会いを体験したお話しをしました。「ことば・こころ・いのち」をキーワードにお届けしている今日は「いのちの時間」のお話しを。
このところ次々と親戚や友人の葬儀がありました。いのちの終わりは誰にでも来る、ことはわかっていても、私たちは自分のこととしてなかなか考えることが出来ません。
ギリシャ語で「時」をあらわす言葉が2種類あることはよくお話しに出てきたりします。最近開いた「旅立ちの朝にー愛と死を語る往復書簡―曽野綾子・アルフォス・デーケン著・新潮文庫」にも出てきました。デーケン神父の子供時代、ナチスドイツによる胸を掻き毟られるような体験を読むと、この世界と人間が罪と悲惨の中にあることを思わずにはいられません。また人間が神様を信じ、どんな苦しみの中からも希望を失わずに人生を進む逞しさも思いました。
「クロノス」と「カイロス」。クロノスは日常の時間のこと。「カイロス」この時間のことを今日は覚えたいと思います。聖書辞典を見るとこの言葉は、旧約新約合わせて100回以上出てきます。私たちが通常考える24時間ではない時間。クロノスが時間の量とすれば、カイロスは、時間の質ですね。あの有名なイエスさまが十字架にかかられる前、ヨハネ福音書17章に「父よ、時が来ました」とあります。この時がカイロスです。コヘレトの言葉の中にある「生まれるに時があり 死ぬに時がある」も同じです。イエスさまは何度も「わたしの時はまだ来ていない」ともお語りになりました。その時とは、十字架におかかりになる時でした。イエスさまは、すべてをご存じで十字架への道を歩まれました。
この「時」という言葉は、ギリシャ神話の絵では、前髪はあるけれど後ろは禿げているといわれます。この「時」は、「ただ一度訪れる、2度と巡ってこない決定的瞬間」なのです。それは、また人生の選択と決断の時でもありますね。
私にいただいた2度とこない決定的瞬間。何よりイエスさまを信じる信仰的決断の時がありましたね。十字架で私たちの罪のためにいのちを捧げてくださった愛。私たちが完全に神様の律法の要求を果たしたと言っていただけるように生きてくださり、命を捨ててくださったイエスさまの愛。今日という日、「この人による以外に救いはない」(使徒言行録4:12)といわれたイエス様の罪からの救いを受け入れる「決断の時」が自分の人生の決定的瞬間です。あなたにその救いの時が与えられますように。 くまだなみこ