2024年10月6日(日) 聖書と手紙
おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今日から「国際文通週間」が始まります。この日が定められたのは、1957年のことで、ちょうど私が生まれた年のことです。
67年前のあのころと比べて、郵便事情も随分と変わってしまいました。手紙に代わって、今では電子的な手段でメールを送ったり、それよりもはるかに便利なコミュニケーションツールで連絡を取り合うことが、主流になってしまいました。この番組に寄せられるお便りも、手書きの手紙や葉書よりも、すっかりメールの方が多くなっています。
「文通」という言葉も、すでに死語になってしまったように感じられます。私が高校生だったころは、まだ「文通」という言葉も、「ペンパル」という言葉も、普通に使われていました。わたしも高校生時代に、外国のペンパルとの文通を通して、自分の知らない世界を興味深く学んだものでした。
さて、今朝はその国際文通週間にあわせて、手紙を通じたコミュニケーションについて考えてみたいと思います。郵便組織ができるはるか前から、手紙は、世界中の人々をつなぐ重要な手段でした。手紙はとてもシンプルなコミュニケーション手段ですが、紙に残された手紙の言葉は、時代を超えて私たちの心を動かし、距離を越えて人々をつなぎます。
キリスト教にとっても、手紙は、重要な役割を果たしていました。新約聖書には、パウロをはじめとする初期のキリスト教指導者たちが送った手紙が、数多く含まれています。実に、新約聖書全体の40パーセント近くが、手紙で占められています。これらの手紙は、その時代に生きていた信徒や教会に宛てて書かれたものですが、今日でも、多くの人々に読まれ、学ばれています。特に、パウロの手紙は、神の愛や救い、そして人間のあり方について深く語っています。
キリスト教に初めて触れる人にとって、キリスト教のメッセージは、時には難解に感じることもあるかもしれません。しかし、その本質はとてもシンプルです。それは、神がイエス・キリストを通して、私たち一人ひとりを愛しておられる、ということ。そして、その愛は、私たちの過ちや弱さを超えて、無条件に私たちを包み込むほど深いものである、ということです。
この愛は、私たちが他の人々とどのように関わるべきかについても指し示してくれます。キリストを通して示された神の愛を知ったヨハネは、その手紙の中でこう記しています。「愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。」(1ヨハネ4:11)
神の愛は、人を動かし、人を変える力があります。新約聖書の中に収められた手紙を書いたパウロやヨハネも、その神の愛に動かされた一人です。それらの人たちが書いた手紙には、その感動が生き生きと描かれています。
もちろん、時代も国も文化も異なる人の書いた手紙ですから、分かりにくい表現があることは否めません。しかし、手紙を書くときには誰もがそうしているように、思いを込めて、気持ちが伝わるように書かれた手紙であることは間違いありません。その思いに触れながら読み進めるときに、必ず心に届く言葉に出会うはずです。
実は、聖書全体が、神から私たちにあてて書かれた手紙だという人さえいます。この国際文通週間を機に、あなたも少しだけ心を開いて、聖書の中に示された「愛」という普遍的なメッセージに耳を傾けてみませんか?