2024年3月31日(日) 復活のキリストがいつも共に
おはようございます。南与力町教会の坂尾連太郎です。
先週はイエス・キリストの十字架に至る苦しみを覚える「受難週」でした。そして本日はイエス・キリストの復活を記念し、お祝いする「イースター」です。
最近では日本でも「イースター」という言葉を聞くことが多くなりました。しかし実は、キリスト教会では昔からこのイースターこそ、クリスマスにもまさって最も重要なお祭りとされてきたのです。それだけキリスト教にとって「キリストの復活」が重要な意味を持っているということです。
「キリストの復活」が持っている豊かな意義を、この一回の放送で語り尽くすことはできません。しかし、まず言えることは、キリストの復活がなければ、キリスト教や教会そのものが、この世には存在していなかった、ということです。
もちろん、イエス・キリストが復活する前から、イエスに従う弟子たちは存在していました。しかし、イエスが捕らえられた時、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまったのです。そして彼らは、イエスから受難と復活の予告を受けていたにも関わらず、誰一人イエスが復活することを信じていませんでした。イエスの復活が起こらなければ、弟子たちは散り散りになったままだったでしょう。
しかし、イエスは予告していた通りに、復活し、ガリラヤの山で弟子たちに出会われました。そのことがマタイによる福音書28章16節以下に記されています。そこで弟子たちは、復活したイエスに会い、ひれ伏しました。「しかし、疑う者もいた」(マタイ28:17)と記されています。弟子たちにとってイエスの復活がいかに信じ難いことであったかがわかります。しかし、そのような弟子たちにイエスは近づき、次のように言われました。
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:18-20)
このイエスの言葉を聞いて、弟子たちは全世界に出て行き、イエス・キリストの福音を宣べ伝えていったのです。逆に言えば、復活したキリストとの再会がなければ、弟子たちによる福音宣教はなされず、キリスト教会も生まれることはなかったのです。このことを考えるだけでも、「キリストの復活」が教会にとっていかに重要な出来事であったかがわかります。
しかし、「キリストの復活」という出来事は、ただ教会にとってだけ重要というわけではありません。それは全世界にとって重要な意味を持っています。なぜなら、キリストの復活は、ただ一人の人間が生き返ったというのでなくて、復活したキリストに神さまから「天と地の一切の権能」「天と地のすべての権威が授けられた」ということを意味しているからです。それゆえ今や、旧約時代からの神の民イスラエルだけでなく、全世界の諸国民・諸民族がキリストに従い、キリストの弟子となるべきなのです。それゆえに復活したイエス様は弟子たちに「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(28:19)とおっしゃったのです。
さらにイエス様は弟子たちに対して最後に、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(28:20)、そのように約束されました。この世界、この時代にこれから何が起こるのか、また自分の人生にどんなことが起こるのか、私たちにはわかりません。またキリストを信じ、キリスト者になれば、何の苦しみもなくなるということでもありません。むしろ、キリストに従うがゆえに負わなければならない苦しみ、十字架があります。
しかし、確かなことは、世の終わりまで、イエス・キリストがいつも私たちと共にいてくださる、ということです。私たちを罪から救うために、死に、復活し、天と地の一切の権威を授けられたイエス・キリストが、いつも、すべての日々に、私たちと一緒にいてくださる。その御力をもって私たちを守り、助け、導いてくださる。私たちにとってこれほど心強いこと、慰め深いことはありません。このラジオを聞いている方々が、イエス・キリストの弟子として、キリストと共に、日々を歩んでいかれるようお祈りいたします。