2023年9月17日(日) クレバーだ!

 おはようございます。高知県の土佐山田という場所で牧師をしています高内信嗣と申します。よろしくお願いします。
 昨年の11月にカタールで開催されたサッカーワールドカップは、日本代表が強豪ドイツとスペインを破り、日本中、歓喜に包まれました。

 それ以降、日本中、いや世界中が、サッカー日本代表の「三笘薫」選手に注目しています。現在、世界最高峰のリーグである、イングランドプレミアリーグのブライトンに所属しており、予測しても止めることができないスピードで相手を翻弄しています。チャンスの時も、決して慌てず、冷静にゴールを決めます。今まで世界で活躍する日本人選手はいましたが、あれほどのドリブラーが日本から出てきたことに、言葉では言い表せないワクワク感を覚えます。

 あのワールドカップ以降、私は、彼の所属するブライトンの試合を毎週観ることが趣味になりました。試合を観ますと、サッカー解説者の多くが、彼のプレーを見ながら、「クレバーだ」と口にします。最初は「クレバー?」と思いましたが、cleverは英語で、「賢い、利口、ずる賢い」という意味を持っています。サッカー界においては、「器用なプレーをする」、「立ち回りが巧みである」という意味として使われているようです。三笘選手は、ただバカ正直にドリブル突破をする選手ではありません。場合によっては敵を引き付け、パスを出します。または緩急をつけて、縦や横にドリブルを仕掛けます。彼のプレーはまさに、クレバーです。

 さて、ここで少し聖書の言葉に目を向けたいのですが、聖書にはこのような言葉があります。「思慮深い人は自分の知恵によって道を見分ける。」(箴言14:8)これは、聖書の書物の一つである、「箴言」という格言集の中のひとつの言葉です。英語の聖書は多くの翻訳があるのですが、一つの聖書は、「思慮深い」を「クレバー」と訳しています。「クレバーな人は自分の知恵によって道を見分ける」、このようにも言えるでしょうか。

 「自分の知恵」と言われています。では、このところは単純に、クレバーで頭の良い人が人生上手くやっていける、と言っているところなのでしょうか。そうなると、急に自信がなくなってしまいます。しかし、ここで、この格言が収められている「箴言」という書物全体を見ることが大事だと思います。箴言の書物の初めの方に、「主を畏れることは知恵の初め。」(箴言1:7)と出てきます。箴言が語る「自分の知恵」とは、主、つまり神様を畏れることによって始まるというわけです。

 本当に知恵のある者は、しばしば謙遜です。それは、自分の知恵や知識が取るに足らないものであることをよく知っているからです。神を畏れる時、人間は必然的に謙遜になります。しかし、それこそが本当の知恵の始まりなのです。三笘選手は非常にクレバーですが、とても謙虚です。それはやはり、私たちの目からしたら素晴らしいものですが、自分のプレーがまだまだ小さなものであることを知っているからではないかと思います。

 私たちの世の中は、様々な危険があると思います。真面目であればあるほど、躓いてしまうことがあります。私たちは時に、「クレバー」な判断が求められることがあるのかもしれません。この世の中を生きていく知恵は、神様を畏れる時にもたらされます。今朝、御一緒に、今見つめています神様の前にひざまずきたいと願っています。その時、神様は、必ず私たちに適切な知恵と力を与えてくださいます。私たちが危険な中でも歩んでいくことができるように、導いてくださいます。それこそが、本当に祝福された人生ではないか、と確信しています。