2023年1月22日(日) 与えられ与えて生きる神の子ら

 おはようございます。南与力町教会の坂尾連太郎です。
 今朝は、マタイによる福音書7章7節から12節に記されているイエス様の教えに、耳を傾けたいと思います。

 イエス様は、「求めなさい、探しなさい、門をたたきなさい」とおっしゃっています。これらの言葉には、「〜し続ける」という継続の意味合いがあります。ですから、7章7節は、次のように訳すこともできます。「求め続けなさい。そうすれば、あなたがたに与えられる。探し続けなさい。そうすればあなたがたは見つける。門をたたき続けなさい。そうすれば、あなたがたに開かれる」。

 私たちは、祈ってもすぐには聞かれない、求めてもなかなか叶えられない、という経験をします。しかし、イエス様は、私たちがそこで諦め、祈るのを止めてしまうのではなくて、求め続けるように、探し続けるように、門をたたき続けるように、励ましておられるのです。

 さらに、イエス様は、続けてこう語られました。「あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」(マタイ7:9-11)

 私にも二人の息子がいますけれども、パンが欲しいと求めてきたときに、石ころを与えることは、まずありません。魚を求めている子どもたちに、蛇を与えるなどということは、あり得ません。誰でも、自分の子どもに、そんないじわるな、ひどいことはしないのだと思います。

 しかし、それは、私たちが特別に善良な人間だからではありません。イエス様が言われるように、私たちは、「悪い者」です。神様の前に、様々な悪や罪を犯してしまう罪人です。それにもかかわらず、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。そうであるならば、善なる神は、あなたがたの天の父は、なおさら、求めている子どもたちに、良い物を与えてくださるはずではないか。イエス様は、そのように言っておられるのです。

 もちろん、私たちが求めるているものが、神様の目に「良い物」ではない、ということもあるでしょう。たとえば、子どもがごはんを食べずに、お菓子ばかり要求してくるとき、多くの親は、その要求に応えないでしょう。それは、子どもの健康と成長のために良くないことだと知っているからです。私たちの父なる神様も、同じような理由で、私たちの要求にそのまま応えて下さらない、ということはあるのだと思います。

 また、求めているもの自体は「良い物」であったとしても、今はまだその時ではない、ということもあるでしょう。しかし、神様は、私たちの祈りを確かに聞いてくださっていて、神様の目から見てふさわしい時に、「良い物」を与えてくださる。私たちは、そのことを信じて、諦めることなく、遠慮することなく、父なる神様に求め続け、良い物を恵みとしていただきながら、生きていきたいと思います。

 さらに、イエス様は、続けて次のように言われました。「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」(マタイ7:12)最初に、「だから」という言葉があり、前の部分とつながっています。あなたがたの天の父は、求める子どもたちに対して、必ず良い物を与えてくださる。「だから」、それゆえに、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」、これこそ、旧約聖書全体に示された神の御心である。イエス様は、そのように教えられたのです。

 人からしてもらいたいと思うことは何でも人にする。これは、私たちにとって、とても難しいことだと思います。そんなことをしていたら、自分が損をしてしまう、と私たちは思います。しかし、実は損をしてもよいのです。なぜなら、私たちには、天に父なる神様がおられる。求める者には必ず良い物を与えてくださるお父様が、天におられるからです。

 天の父なる神様に求め続け、良い物を恵みとしていただきながら、人にも、良い物を与えて生きていく。それが、ここでイエス様の教えておられる、神の子どもたちの生き方であります。


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