2022年1月9日(日) イエスのたとえ話6「大宴会のたとえ」

 おはようございます。広島教会の申成日(シン ソンイル)です。コロナ禍の中で人々と接することが乏しくなりましたが、皆さんのお正月はいかがでしたか。家族、親族が共に集まり、一緒に食事しながら和気あいあいに語る、そういう時が早く訪れることを祈ります。さて、今日はそういうことで「大宴会のたとえ話」です(ルカ14:15-24参照)。

 ある人が大宴会を催しました。それは、自分の息子の結婚を祝う披露宴のような宴会です。多くの人に招待状を出して、準備が整えたらもう一度知らせをすることにしました。
 ついに、準備が整えられましたので、主人は僕たちを送って「用意が出来ました。お出でください。」と言わせました。すると、皆次々と断りました。ある人は「畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください。」と言いました。他の人は「牛を2頭ずつ5組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください。」と言いました。また別の人は「妻を迎えたばかりなので、行くことができません。」と言いました。

 帰って来た僕たちの話を聞いた家の主人は、ガンガン怒りました。それもそうです。当時の農業社会において確かに畑を買うこと、牛を買うことはとても大切なことです。また妻を迎える、つまり結婚については今の時代であっても大切なことです。しかし、彼らは前もって宴会の招待に応じた人です。「畑を買ったので見に行く」と言うけれども、そのような大切な物を見もしないで買う人が何処にいるでしょうか。牛も大切な物であるのは変わりませんが、どんな牛なのか見もしないで買う人が何処にいるでしょうか。「妻を迎えたばかり」であるならば、この婚礼の宴会に一緒に連れて来て共にお祝いするのも良いことだと思います。

 つまり、家の主人が怒ったのは、これらのことが「言い訳に過ぎない」と感じたからだと思います。そこで、家の主人は僕たちに言いました。「急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。」それでも席が余っていたので「通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない。」たとえ話はここで終わりです。皆さんにも、十分この家の主人の気持ちが分かっていただいたと思います。

 ところで、イエスがこのたとえ話を語る時に、本当は最初に「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」という言葉を言いながら、このたとえ話をなさいました。つまり、このたとえ話は、神の国、天国における宴会をたとえた話なのです。

 畑というのは仕事、牛というのは富、妻というのはこの世の楽しみを意味することです。神様は、様々な形で私たちを天国へと招いておられます。しかし、わたしたちはそのような招きに対して一度はウンと答えながら、このような仕事、富、楽しみにふさがれて、神の国の招きに応じないようなことになってはいけません。

 リスナーのあなたにもきっとこのような神様からの招きがあったでしょう。どうか、他の様々な事柄を横において、神の招きに応じていくあなたになりますように切にお祈りいたします。


【今週プレゼント】「美しい物語『ルツ記』を開こう」山下正雄著(5名)
【締切】1月15日  ●申込はこちら