2021年11月21日(日) 生かされて生きる

 おはようございます。今月の放送を担当します、忠海教会の唐見敏徳です。
 忠海教会の先々代の牧師、井原牧生先生の時代、広島や呉で伝道されていたアメリカの長老教会の宣教師、エンロ―先生がたびたび忠海を訪れていました。当時、井原牧生先生は難病の筋ジストロフィーを抱えながら、教会の牧師としての働きとともに、同じく難病・障がいを抱えながら生きる人たちのための施設、聖恵授産所を立ち上げていました。エンロ―宣教師は理学療法士の資格を持っておられ、教会を訪ねつつ、障がいを持つ方々を励ましていました。

 そのエンロ―先生があるとき体調を崩し、病院で検査を受けることになりました。検査の結果は癌でした。病による痛み、苦しみの中、エンロ―先生は「これで原爆の被害で苦しんでいるヒバクシャの人たちの気持ちがわかるようになりました。」と語ったと聞きます。広島で伝道、牧会をされていたエンロ―先生の信仰と人柄を感じます。

 私たちは健康であることを願い、病気をできる限り遠ざけたいと望みます。また病気に限らず、怪我や事故、あらゆるアクシデントに遭遇したくないと思います。それは当然のことです。しかし、私たちが普通に望まないこと、苦しみ、悲しみ、痛みなどを伴う出来事を通して気づかされることがあります。それまで当たり前のようにできていたことができなくなった。この体験は少なからずショックを与え、そのまま受け止めることは簡単ではありません。回復の見込みがないとき、状態がさらに悪化していくのが明らかなとき、それはなおさらです。

 しかし、それまで当たり前のように考えていたことが、実はもともとそうではなかったのだということを聖書は指摘します。「自分の体」と私たちは言いますけれども、そもそも自分の意思でデザインして造ったわけではありません。呼吸、心臓の鼓動、血液の循環、内臓の動きなど、すべてをコントロールしているわけでもありません。「自分の体」ですら自分のものではない、私たちの意思を越えて、神がそのように造られ、そして神によって生かされているということです。自分の力で生きているのではなく、神の恵みで生かされている。このことに気づくと、人生の景色がまったく違ったものになります。

 もし、人生の意味や価値があくまで自分の力によって決まるとするなら、それは結局のところ虚しいものになってしまうでしょう。なぜなら、私たちは有限な存在であり、どれほど才能に恵まれ、かつ努力を惜しまず、そして大きな成功を収めたとしても、必ず衰えていくからです。この地上に生を受けたわたしたちは、それぞれの人生の旅路を歩み、やがて死を迎えます。いつまでもこの地上で生き続けることはできないし、ましてや若いままではいられません。

 しかし「わたし」という存在をはるかに超える大きな何かがあって、その中でわたしを含むこの世界のすべてが創造され、支えられているとすればどうでしょう。聖書は次のように語っています。「あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ46:3-4)

 主を信じて生きるなら必ず道は開けます。たとえ、自分の力では何もできなくなってしまい、自分には生きる価値がないと感じられるような時でも、主はあなたの近くにおられ、あなたが価値ある存在であると認めてくださるのです。


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