2020年12月27日(日) 勝利の行進

 おはようございます。高知県、芸陽教会の大宮季三です。
 「キリストへの時間」も2020年最後の放送になりました。来年もぜひ、続けてお聞きください。

 さて、皆さんにはそれぞれ年末年始の恒例の過ごし方があるかと思いますが、テレビの格闘技中継も日本の大晦日の恒例の一つです。先日、私は格闘技中継で悔やんでも悔やみきれないような思いをしました。その日は、楽しみにしていた試合が夜に放送される日でした。試合が実際に行われるのはテレビ放送より半日ほど前なので、その日は結果を事前に知ってしまわないように、スマートフォンでニュースなどを一切見ないように細心の注意を払っていました。

 ですが夕方、ふと無意識にスマートフォンをいじってしまい、ニュースのアプリを開いてしまいました。見るタイミングが悪かったのかトップページにその結果が出ており、結果を知ってしまいました。何ラウンドでどっちが勝つかがわかっている、そんな格闘技の試合はまったく面白くありません。ですが、その少し後にふと思いました。それはあくまでも私のような第三者だから面白くないだけで、もし、家族や本人が、予め試合に勝利することが分かっているなら、その「勝利の情報」は「衝撃的な喜びの情報」になるんじゃないかと思いました。

 聖書の中にイエス・キリストのこういう言葉が記されています。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16:33)イエス・キリストはご自分のもとに集まってくる人たちに対して、「私は既に世に勝っている」という「驚くべき勝利宣言」をされました。

 では、この「世に勝っている」という言葉は何を意味しているのか。イエス・キリストは「世で苦難がある」とおっしゃいました。この言葉を心底から否定する人はいないと思います。むしろ生きていく上で、苦しみと不安は尽きることがない、と感じている人の方が多いのではないかと思います。体の痛み、職場でのストレス、家庭でのストレス、経済的不安、災害への不安、ウイルスへの不安。

 イエス・キリストは、この世での苦難を知らずにこんなことをおっしゃっているわけではありません。イエス・キリストは神の身分でありながら人間の肉体を取り、私たちと同じ苦しみ、不安を知っておられる方です。実際に病気、差別、貧困、外国の圧力、権力者の横暴がはびこるこの世での生活を経験し、さらに苦しみと不安の根本の原因である死を、十字架で実際に経験されました。

 イエス・キリストは「この世には苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」とおっしゃいます。苦しみや不安をごまかしたり、見て見ないフリをしろというのではなく、「私の勝利に目を向けなさい」とおっしゃいます。

 イエス・キリストが死に至る姿は、人間の目から見れば無力な人間の「敗北」の姿でした。ですが、大いなる神の力が神の子イエス・キリストによって表されました。それが、死からの復活です。イエス・キリストの「驚くべき勝利宣言」の根拠がここにあります。「私が勝利したから、あなたがたにも、この勝利を与える」とイエス・キリストはおっしゃいます。ご自分の勝利の故に「この世の苦しみ、不安、死を越える、復活の永遠の命を与える」と宣言されます。たとえ、この世においては苦しみと不安が尽きなくても、イエス・キリストのもとに歩む命は「勝利の行進」だと聖書は告げています。

 今日は、今年最後の日曜日です。「私は既に世に勝っている」というイエス・キリストによる「衝撃的な喜びの情報」が教会で語られる日です。この「衝撃的な喜びの情報」がもたらす新しい命は、最終的な勝利が約束されている「イエス・キリストにおける勝利の行進」として歩む命です。