2020年12月13日(日) 「すべて」「すでに」完成

 おはようございます。高知県、芸陽教会の大宮季三です。
 先日葬儀の場で、「仏教の葬儀とキリスト教の葬儀は全然違いますね。」という感想をお聞きしました。その方は好意的におっしゃってくださったのですが、キリスト教の葬儀が冷たいと思われることもあるようです。キリスト教の葬儀では、遺族の方々のためへの慰めというのは大きな要素の一つですが、生きている人間が直接死者のためにできることはありません。キリスト教の葬儀では牧師の説教があり、賛美歌が歌われますが、それらは死者に対して捧げられるものでも、死者が天国に行くためのものでもありません。聖書は「クリスチャンが天国に入るために必要なことはすべて、すでに成し遂げられている」と告げています。ここから2つのポイントでお話をします。

 第一に、聖書は必要な捧げものは「すべて捧げられた」と言います。つまり人間が救われるためには、特別な修行や特別な代金という追加の捧げ物は必要ありません。「無償」で天国に行けると言います。人間は、どんなに立派な人でも、神の前では平等に一人残らず罪人です。罪の償いが必要な存在です。ですが、皆が罪人であるが故に、誰も必要な償いを果たすことができません。そうであるにもかかわらず、聖書は「無償」でその罪が赦されると言います。実はこの「無償」というのはあくまでも私たち人間の側からの視点です。罪人である人間が支払えない償いを、神自らが償ってくださいました。

 神は人間の罪の償いのために、神ご自身の独り子イエス・キリストをこの地上に遣わしてくださいました。イエス・キリストの十字架によって人間の罪を赦し、天国への道を切り開いてくださいました。真の神の独り子イエス・キリストの血が流されましたから、それは完全な犠牲です。私たちがその犠牲に何かを付け加える必要はまったく必要なく、救いに必要な「すべて」が神の子イエス・キリストによって捧げられました。

 第二に、このイエス・キリストの十字架は私たちの時代からすれば「すでに」捧げられました。私たちが「罪を赦してください。」「天国に行かせてください。」と言う前に、です。それどころかイエス・キリストの十字架は、私たちが生まれる遥か昔、2000年前の出来事です。「いや、頼んだ覚えはありません。」と思うかもしれません。ですが、神は私たちの必要を知っておられました。私たち自身が必要だということを感じる前に、神は先に必要を知り、先にその必要を成し遂げてくださいました。

 アップルという世界1、2を争う巨大IT企業の創業者スティーブ・ジョブズは、顧客アンケートをしない経営者でした。その理由は「顧客は見たこともない商品を自分ではわからない」という理由からでした。人々に想像もつかない、けれども人々が本当に必要とするものをこちらが先に察知して開発しなければならない、という考えからでした。そのようにしてできたのが、近年の大ヒット商品にして世界を変えたとまで言われるスマートフォン「iPhone」でした。

 真の神は、私たちが自分でもはっきりと理解しきれていない心の奥底の渇きと本当の必要を知っておられます。その上で、すでにそれらの解決策を提示しています。人間に本当に必要な罪の赦し、天国での永遠の命、そのために神の子イエス・キリストが十字架で死に、復活されました。あなたの人生にとって、本当に必要なものは「すべて」「すでに」捧げられています。

 この知らせを受け取る人は誰も滅びないとイエス・キリストは宣言しておられます。この知らせを受け取るなら、天国での永遠の命が約束されています。神はあなたが神のもとに行き、「すべて」「すでに」なされた神の救いを受け取るように今も招いておられます。