2020年11月8日(日) 末席に着きなさい
おはようございます。南与力町教会の坂尾連太郎です。
今朝はルカによる福音書14章7節から11節の御言葉に耳を傾けたいと思います。お読みいたします。
イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
イエス様はこのとき、ファリサイ派のある議員から食事に招かれていました。そこには律法学者やファリサイ派の人々も招待されていました。イエス様は彼らがその食事の席で、自ら上席を選んでいる様子をご覧になったのです。
日本では末席に着こうとする習慣や文化があるのだと思います。その一方で上席を好む人たちもいます。学校の先生をしていた方から聞いた話ですけれども、食事会や記念会をセッティングする際、席順にはとても気を遣われるそうです。中には「なんで自分はあの人よりも下の席なのか。」と怒って文句を言ってくる人もいるようです。またそのように表には出さなくとも、心の中では人よりも高い地位や名誉あるポジションにつきたいと願う、そのような思いは多くの人の心にあるのではないかと思います。
イエス様はそういう人々に向かって一つのたとえを語られました。イエス様はその中で、上席に着くのではなく、末席に着きなさい、とおっしゃっています。上席に着いた場合、自分より身分の高い人が招かれていると、自分を招いてくれた人から「この方に席を譲ってください」と言われてしまう。そうすると恥をかきながら末席に移動することになります。一方で末席に着いた場合は、招いてくれた人から「さあ、もっと上席に進んでください」と言われ、同席している人たちの前で栄誉を受けることになる。それゆえ上席ではなく、末席に着きなさい、とイエス様は言われるのです。
しかし注意したいのは、イエス様はここで単に食事会でのマナーや振る舞いについて教えておられるわけではない、ということです。これはあくまでも「たとえ」です。このたとえを通してイエス様が教えようとされているのは、その結論、すなわち「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」という真理です。これは単に食事会では必ずそうなるということではなく、高ぶる者、自分を高くする者は皆「神様によって」低くされる。逆に、へりくだる者、自分を低くする者は、神様によって高めていただける、ということです。この真理を教えるためにイエス様はたとえを語られたのです。
そう考えますと、たとえの中で私たちを婚宴に招待してくださる方とは神様ご自身であることがわかります。ではその婚宴の席にいる自分よりも身分の高い人とは誰のことでしょうか。それはこのたとえを語っておられるイエス様ご自身のことではないでしょうか。イエス様はメシアであり、神の子として高い身分を持っておられます。
しかし律法学者やファリサイ派の人々はそのことに気づかず、自分が上席に着くことばかりを求めていたのです。しかしそのように自分を高くする者は結局、神様によって低められる。席を譲るように神様から命じられ、恥をかきながら末席に着くことになるのです。一方自分から末席に着き自分を低くする者は、神様によって高めていただき、誉れをいただくことができるのです。
イエス様は神と等しい身分でありながら、へりくだって僕の身分となり、十字架の死に至るまで従順に歩まれました。それゆえ神様はイエス・キリストを復活させ、高く上げられたのです(フィリピ2:6-9参照)。私たちもそのイエス様に倣い、神様からの誉れをいただけるよう、自分を低くして「末席に着く」ように生きていきたいと思います。