2020年10月11日(日) イエス・キリストと出会った人たち-百人隊長

 おはようございます。高知市上町4丁目にあります、日本キリスト改革派高知教会の小澤寿輔です。今月は「イエス・キリストと出会った人たち」というテーマで聖書に聴いています。

 「イエス・キリストが地上の生涯を歩まれた時とちょうど同じ時間と場所に生きていた人が羨ましい。彼らはイエス・キリストと会って話すことができたので、直接願いを聞き入れていただけた。けれども現代を生きる私たちは、イエス・キリストとの接点がないので何の助けも得られない。」そのように思う方はおられないでしょうか。

 確かに私たちは、キリストの時代から約2000年後に、イスラエルから9000キロも離れた日本に生きています。イエス・キリストから何かをいただきたくても、時間も空間も共有していない私たちに希望はあるのでしょうか。その答えを持っていたのが百人隊長でした。第6回の今日は、百人隊長とイエス・キリストの出会いについて聖書に聴きましょう。(以下ルカ7:1-10節参照)

 イエス・キリストがカファルナウムという所におられたときのことです。ある異邦人の百人隊長が助けを求めてきます。彼の重んじている僕が病気で死にかかっていたからです。とは言いましても、自らイエス・キリストの所に来て直接お願いするのではなく、親しくしているユダヤ人の長老たちに、自分の代わりにお願いをしてもらいます。それでも、長老たちの熱心な願いを聞かれたイエス・キリストは、すぐに出かけられます。

 家の近くまで来られると、今度は百人隊長の友達が伝言を携えて来て、「わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。」と言います。この百人隊長は、自分がイエス・キリストの前に近づくことさえもふさわしくない、と自己卑下しているようです。彼はイスラエルの支配国から軍人としての権力を与えられているのですから、その気になれば部下に命令して、ユダヤ人であるイエス・キリストを召喚することだってできたはずです。しかし彼は、あえてそのような権力は行使せず、謙遜に謙遜を重ねて「お願いする」という姿勢に徹しています。

 百人隊長はイエス・キリストにどうして欲しいというのでしょう。彼は言います。「ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。」百人隊長は、イエス・キリストが自分の僕を癒すことがおできになると確信していました。でも、どのように癒されると信じていたのでしょう。彼は言います。「わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」

 百人隊長の言いたいことは、こういうことです。「領主から受けた権威によって、私の言葉には力が与えられている。だからその命令が何であれ、部下の兵士たちは必ず私の言葉の通りに行う。そして、私は部下の後をついて回って、自分の命令どおりに遂行されているかをいちいち確認する必要もない。ましてや全知全能の神の権威の下にあるあなたが、『癒されよ』とおっしゃれば必ず癒されるはずだ。」その告白を聞いてイエス・キリストは感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われます。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」イエス・キリストは、この百人隊長の信じる姿を大変喜ばれました。

 しかし、百人隊長の信仰とイスラエルの人たちのそれとは、何が違うというのでしょう。イスラエルの人たちは、助けをいただくためにはイエス・キリストとの物理的な接触が必要である、と信じていました。ですから彼らは、病気で苦しむ者を抱えてイエス・キリストのもとに行き、手を置いて目に見える奇蹟的な力を用いて癒していただくことを求めました。ところがこの百人隊長は「イエス・キリストの権威あるお言葉一つで十分だ。」と告白したのです。それでイエス・キリストは、百人隊長の信仰に感心し、人々の前でその信仰をほめられたのです。その結果、百人隊長の信仰の通り、イエス・キリストの権威あるお言葉によって、その部下は元気になったのでした。

 もし、イエス・キリストに実際に会って願いを打ち明けなければ叶えられない、ということでしたらどうでしょう。現代に生きる私たちはイエス・キリストに直接会ってお話しすることができませんので、何の希望も持てないことになってしまいます。その隔たりの問題を解決するのが「イエス・キリストのお言葉」であることを、百人隊長は知るようにされたのです。

 私たちの生活には様々な問題や葛藤があり、解決したいと願うことがあります。問題が大きすぎて、ただ右往左往するしかないという状況に置かれている方もあるかもしれません。また見えない将来について、今の自分が何をしたら良いのか分からず、必死に御心を求めて祈っている方もあろうと思います。

 そこで覚えておきたいことがあります。それはイエス・キリストというお方は、相手が異邦人であるとか、遠くにいるとか、時代を隔てているとか、そういうことは一切関係なく、助けを求めている人がいると聞けば喜んで助けてくださるお方である、ということです。私たちは「異邦人だし、イエス・キリストに会ったことがないからふさわしくない。」などと色々な理由をつけて、自分は助けてもらえないと勝手に決めつける必要はないのです。ユダヤ人も異邦人も区別なく、紀元1世紀の人も21世紀の人も区別なく、イエス・キリストはすべての人に権威あるお言葉を遣わして、ご自身の望まれることを成し遂げてくださるのです。

 今日このラジオを聴いているあなたも、イエス・キリストのこのようなご人格に信頼し、へりくだりつつ、大胆に近づいて行きませんか。この百人隊長のように、イエス・キリストの遣わすお言葉による癒し、恵み、助け、お導きを、豊かに受け取られますように。