2020年7月12日(日) 人生の方向

 おはようございます。いかがお過ごしでしょうか。広島県東広島市西条中央にある東広島教会の牧師をしております、李哲敏(イ・チョルミン)と申します。どうぞよろしくお願いいたします。お近くに来られた時はぜひ、東広島教会にお立ち寄りください。

 聖書人物の中で運動神経のいい人と言えば、ダビデをあげることができると思います。ダビデはライオンやクマと戦って羊たちを守りましたし、あの有名なパレスチナのゴリアテと戦って打ち勝った人です。ダビデは運動神経も素晴らしかったですが、もっと素晴らしかったのは、信仰でした。

 若い頃ダビデは、いつどこにいても最善を尽くして信仰者として生きようとしました。自分の命を狙う敵に追われる時も、彼は神の御前で罪を犯さないように努力しました。人生のすべての瞬間、すべての領域で神への熱情で生き、彼のすべての思いと心はいつも天の神さまに向かっていました。最善を尽くして神さまのみこころに相応しい人生を生きようと努力するダビデを神さまは喜ばれ、多くの祝福をくださいました。その結果、ダビデはイスラエルの王となり、彼の軍隊と国は大きく強くなりました。スポーツ用語で言いますと、ダビデはチャンピオンになりました。

 私たちはたまに、過去、人々に大きな感動を贈ったスポーツチャンピオンが、犯罪を犯して逮捕されたというニュースを耳にすることがあります。なぜ、彼らは栄光の座から犯罪者の座に行くことになったんでしょうか。矛盾するような表現かもしれませんが、もしかすると、目標達成による目標喪失が主な理由ではないかと思います。

 自分の分野、種目でチャンピオンになることを人生の目標にして、すべてをかけて走り切って、ついにチャンピオンになって、自分が世界一だという思いによる自慢と、もうこれ以上昇るところはないというこれからの人生の目標と方向を見失った喪失感によって、さまよいながら、結局、してはならない犯罪にまで手を出してしまったのではないかと推測します。

 ダビデもいわゆるチャンピオンになってから、今まで神さまが喜ばれた信仰から外れてしまいました。自分の命をはじめ、今自分にあるすべてが神さまの恵みであることを信じ、自分をイスラエルの王に選んでくださったのは神の民イスラエルの管理と保持のためであることを知り、感謝の歌で主をほめたたえたダビデでしたが、ある瞬間、イスラエルを自分の国に、チャンピオンの栄光を神さまではなく自分のものにしたいという思いが生じて、部下に国の人口調査を命じます。

 しかし、それは神さまが喜ばれないことでした。自分の部下が「王はなぜ、このようなことを望まれるのですか。」と忠告しましたが、ダビデには聞く耳がありませんでした。自分の人生の目標を見失ったダビデは人生の方向を失い、結局神さまに罪をおかしてしまいました。

 自分の過去の栄光の時を話す人のほとんどが、現在の自分の話はあんまりしません。多くの場合、その人の心の時計は、過去のあの時刻に止まっています。以前、自分の熱情を注いだ栄光の瞬間は、個々人と歴史の一部分として大事です。ほめるべきです。でも、もっと大事なのは現在です。現在の私はどこへ向かっているのか?立ち止まってはいないか。

 私が属している教会が信仰の基準として採択したウェストミンスター小教理問答書は「人の主な目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶこと」だと教えています。すなわち、人が向かうべき人生の正しい方向は神さまの方だということです。この放送を聞いておられるあなたの、今現在の人生の方向はどこですか。