2020年6月14日(日) お言葉どおり、この身になりますように
「キリストへの時間」をお聞きのあなた、いかがお過ごしですか。広島県竹原市にあります、忠海教会の唐見敏徳です。今月は人生の転機や変化をテーマに、聖書の登場人物とその人物に起きた出来事を取り上げてお話ししています。今日取り上げるのは主イエス・キリストの母マリア、そして受胎告知の場面です。
み使いガブリエルがマリアに主イエスを身ごもっていることを告げるこの有名な場面は、ルカによる福音書に記されています(ルカ1:26-38参照)。ルカは、クリスマス物語の重要なエピソードの一つとして、洗礼者ヨハネの誕生の予告に続けて、この出来事を語っています。
このときマリアはまだ十代半ばであったと考えられています。いいなずけであるヨセフとの結婚を控えていました。そこへ天使ガブリエルが登場し「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」と語りかけます。この突然の祝福の言葉が何を意味しているのか、マリアには全く見当がつきませんでした。そしてその内容が、主イエス・キリストの誕生の予告であるということが明らかになったとき、それは祝福として受け止めるにはあまりにも衝撃的でした。
「十代半ばの」ということを抜きにしても、妊娠・出産は大変なことです。現代の、日本も含めて少なくとも一般に先進国と言われている国々では、妊娠、出産が危険なことだという認識はほとんどないでしょう。医療技術が進み、母子ともに健康で妊娠、出産というケースがほとんどです。
しかし現在のように、妊産婦死亡率、乳幼児死亡率が低い状況というのは、ざっくり言ってここ100年程度の現象です。それより前の時代、妊娠、出産は決して簡単なことではなかったのです。実は、私の妻は2番目の子どもを妊娠したとき、前置胎盤と診断され、近くの産婦人科の病院から県の基幹病院に転院し、帝王切開で出産することになりました。もしエコー診断のない2000年前であれば、母子ともに亡くなっていたかもしれません。
さらにマリアを困惑させたに違いないことは、これがまさに予想しえない妊娠だったからです。聖霊によって身ごもるという、ふつうではありえない出来事であり、おそらく誰にも信じてはもらえないでしょう。そして、場合によっては当時のユダヤ社会において姦通罪として断罪されうる可能性を含んでいました。マタイによる福音書は、いいなずけのヨセフがマリアの妊娠を知り、ひそかに縁を切ろうとしたと記しています(マタイ1:19参照)。
さて、彼女の人生を大きく変えることになる知らせを受けたマリアは、わずかな困惑の後に、最終的に次のように答えます。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(ルカ1:38)
この驚くべきマリアの言葉には、わたしたちがそれぞれの人生を歩む上で心に留めておくべきこと大切なことが記されています。それは一言でいえば、神への絶対的な信頼です。
わたしたちの生涯には、時として予想しえないことが起こることがあります。全く理解することができず、望みもしないことが、自分や家族、そして友人に降りかかることがあります。しかし、たとえその出来事の原因や意味がわからないとしても、そこに計り知れない神の御心を信じて受け入れること。マリアの、み使いへの返答は、そのことをわたしたちに教えてくれます。この世界を創り、愛しておられる神に、できないことは何一つないのですから。