2020年1月12日(日) イエス・キリストと出会った人たち-ザアカイ

 おはようございます。高知市上町4丁目にあります、日本キリスト改革派高知教会の小澤寿輔です。
 今月は「イエス・キリストと出会った人たち」というシリーズで聖書に聴いています。イエス・キリストと出会うと、人は新しい人に生まれ変わります。それがどのようにしてなされるのかを聖書の登場人物をあげて見ていきます。第2回は、ザアカイとイエス・キリストの出会いです。

 聖書に、ザアカイはエリコの町の「徴税人の頭」で「金持ち」であったとあります。彼はイスラエルの市民から税金を取り立てて、当時イスラエルの支配国であったローマ帝国に、その集めた税金を納める仕事をしていました。でもザアカイは、人々から「罪深い男」と言われ、嫌われていたようです。彼は多くの部下の徴税人たちを使って、同胞のユダヤ人から厳しく税を取り立てていたのでしょう。また、人々から税金を集める際に、定められた税額はもちろんのこと、ピンはねや着服などの不当な取り立てによって、懐を温めていたのでしょう。それで、彼は「金持ち」になったのでしょう。けれども、ザアカイの心は、決して満たされてはいなかったはずです。彼は、自分の心に空いた穴を満たす何かを探していたに違いありません。

 ある日、イエス・キリストがエリコの町に来られることを、ザアカイは知りました。ユダヤ地方を巡りながら、病人を癒し、奇跡の業をなし、神の国について教えられるイエスという人物は、あらゆる人の関心の的でした。ザアカイも噂を耳にして、以前からイエス・キリストに関心を抱いたことでしょう。そして「この方こそ自分の空しい心を満たしてくださる方かもしれない」と感じたのかもしれません。

 ザアカイは、この千載一遇のチャンスに賭け、イエス・キリストを一目見ようと、大勢の人が集まるところに自分も出て行ったのでした。ところが、ザアカイは背が低かったので、群衆に遮られて全く見ることができませんでした。彼は「イエスを見るために」(ルカ19:4)恥も外聞も捨てて、走って先回りし、いちじく桑の木によじ登ったのでした。

 ちょうどその時、イエス・キリストがその場所に来られて、上を見上げて彼に話しかけられました。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」(同19:5)誰も自分に関心を持ってくれなかったのに、イエス・キリストは大勢の群衆の中から小さな自分を見つけてくださいました。誰も自分の名前を呼んでくれなかったのに、イエス・キリストは自分の名前を呼んでくださいました。誰も自分の家に来る人はなかったのに、イエス・キリストは「ぜひあなたの家に泊まりたい」と言ってくださいました。ザアカイは嬉しさのあまり、急いで降りて来て、大喜びでイエス・キリストを自分の家にお迎えしました。

 ザアカイは、イエス・キリストと出会うことによって新しい人間へと生まれ変わりました。これまでは、自分のことだけを考え、財産をかき集めることに明け暮れていたのですが、この日を境にして、自分の周りにいる貧しい人たちに心が向けられたのです。イエス・キリストからまことの愛を受けて、彼の中で人生観、価値観がひっくり返ったのです。ザアカイの生まれ変わりを知ったイエス・キリストは、「今日、救いがこの家を訪れた」と宣言されました(同19:9)。それは「ザアカイが救いをいただいた」ということを意味します。人間が手にすることのできる物の中で、これほど大きな喜びをもたらすものはありません。

 でも、どうしてザアカイは「救い」をいただくことができたのでしょうか。彼は、人を騙してお金を取るような「罪深い男」です。ザアカイが、木に登ってイエス・キリストを見ようと努力したからでしょうか。イエス・キリストを自分の家にお迎えしたからでしょうか。それとも、イエス・キリストの前で善行や罪の償いの約束をしたからでしょうか。

 確かに、これらはとても大事なことです。けれども、ザアカイが救われたのは、彼の努力や行いによったのではないのです。イエス・キリストの方から「ザアカイ」と呼んで捜しに来てくださったからなのです。そのことの確かな証拠として、イエス・キリストが最後に、ご自分を指して言われた言葉があります。「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(同19:10参照)

 このように、イエス・キリストの方から先に、捜しに来てくださるのです。それで人は救われるのです。聖書に登場するザアカイだけでなく、今日を生きる私たちを含め、人類に救いの恵みを与えることこそ、約2000年前に神の子イエス・キリストが人となってこの地上に来てくださった目的なのです。神の子イエス・キリストがこの世に来られたのは「失われた人である、あなたや、私を、捜して救うため」だったのです。ですから、イエス・キリストと出会う人は、新しい人間に生まれ変わって、救いの恵みに与り、神に喜ばれる人生を送ることができるようになるのです。

 「以前、どんな人であったか」は、もはや問題ではありません。イエス・キリストは、あなたの名前も知っておられます。そして、あなたの名前を、優しく、呼んでくださいます。あなたも、イエス・キリストとの出会いを求めて日々聖書を読み、祈り、教会へ行く一年を始めてみませんか。