2019年12月8日(日) メシヤ預言2
おはようございます。広島にあります平和の君教会の山下です。リスナーの皆様もアドベントの時をお過ごしでしょう。アドベントカレンダーも8枚目となり、ろうそく立てにも2本目が灯され、クリスマスへと一歩近づきました。
前回にお伝えしましたように、今朝も旧約聖書からメシヤ預言に耳を傾けることにしましょう。今日取り上げますのは、預言者エレミヤです。わたしはエレミヤにとても共感を覚えます。彼はどうも内向的で涙もろい性格であったようです。しばしばエレミヤ書には涙するエレミヤの姿が出てきます。又彼はクリスチャンホームの出(で)でした。きっとまじめで信仰的な人だったのでしょう。
彼が預言者として働いた時代は、先のイザヤが活躍した時とは大分違っていたのです。というのはイザヤは紀元前750年位の人で、エレミヤはそれから150年後の紀元前600年に登場しました。その時には北イスラエルはアッシリアによって滅ぼされ、南ユダだけがからくも残っていました。しかしそれはすでに風前の灯火であって、紀元前586年にバビロニアによって遂に南ユダもエルサレム神殿もろともに滅びてしまうのです。けれども南ユダの王を始め民衆は、それを受け止めず、自分たちには神殿で礼拝をささげているから大丈夫、又王が治めているので滅びることはないと、高をくくっていました。
その時にエレミヤは、神から召されて神のみ言葉を語る預言者として南ユダの滅亡とエルサレム神殿の焼失を告げ、主だった人々はバビロンへ連れ去られる、との預言を取り次いだのです。そのため人々から反感を買い、王からは気に入らない言葉を語る厄介者とみなされ、故郷のアナトトの村人さえも彼を裏切り者、売国奴とののしったのです。しかし神の言葉は実現し、遂にバビロン捕囚を味わうのです。エレミヤは自分が語った言葉が聞き入れられないばかりか、その憂き目にも遭い、エルサレムの陥落を彼自身目撃しなければなりませんでした。どうして涙せずにそれらを受け止められるでしょうか。彼のしばしば涙する姿は、ただ気弱な性格のみに帰すことの出来ない過酷で厳しい状況と困難の大きさを物語っています。
しかし彼はそれでも望みを失わず、なお必ず神の預言が成就し、神の真実は、ダビデの若枝であるメシヤ、イエス・キリストによって実現することをここで明らかにしています。イエス・キリストの母マリアへの賛辞「神がおっしゃったことが必ず実現すると信じた方は、何と幸いなことでしょう。」とのみ言葉があります(ルカ1:45参照)。どんなことがあっても、いかなる状況に陥っても、神の言葉の真実、即ち神様の真実と愛に望みを置く人は決して裏切られることはありません。神のみ言葉だけが私たちの真っ黒な罪を明らかにし、そしてこのわたしを造り替え、神様に望みを置く者へと導いて下さるのです。神様の真実と愛、それはイエス・キリストの誕生によって示されました。それがクリスマスの出来事なのです。