2019年7月14日(日) 道
おはようございます。高知県安芸市にあります芸陽教会の大宮季三です。
さて、車を運転していると時々困ったことがおきます。カーナビが、あるはずの道を教えてくれないのです。私の車のカーナビは数年前の道路情報しか知らず、私が知っている道であっても、カーナビにとってその道はまだ存在しない道なのです。存在しない道を案内することができないカーナビは、知っている道になんとか引き戻そうと、慌ただしい動作をします。そうなると、もはやカーナビはうるさいだけです。私はカーナビをストップします。
さて、聖書の神様は、カーナビとは反対に存在しない道を切り開くお方です。詩編77編という聖書の箇所にはこのような言葉があります。「あなたの道は海の中にあり、あなたの通られる道は大水の中にある。」聖書の神様は、「海の中に、道を切り開くことのできるお方」です。この言葉は、その昔、イスラエル民族が実際に経験した出来事に基づいています。イスラエル民族は、エジプトの国で、過酷な労働を強いられていました。
神様は、そのような状況にあるイスラエル民族を救い出されます。神様はイスラエルのリーダーとして、モーセという人物を立てます。「イスラエル民族を解放しないとエジプトに災いが起こるぞ」というメッセージをエジプトの王様に伝えるのですが、エジプトの王様はイスラエル民族を解放しません。実際に、エジプトには多くの災いが降りました。エジプトの王様は、災いが降る度に、「解放する」と言ったり「やっぱりダメだ」と言ったり、態度をコロコロと変えます。
そして、ついにエジプトに最後の災いが降り、エジプトの王様はついに、イスラエル民族を解放する決意を固めます。イスラエル民族は意気揚々とエジプトを脱出しました。しかし、しばらく進んだ時に、エジプトの王様は、イスラエル民族を解放したことを後悔し始めます。戦車を全て動員し、イスラエル民族を追いかけます。
イスラエル民族の後ろから、エジプト軍が追いかけてきます。しかも、目の前は海です。どこにも道がないという状況に立たされます。ここでモーセは神様に、杖を高く上げ、手を海に向かって伸ばすようにと言われます。すると、海の中に道が現れました。イスラエル民族はその道を通り、前に進むことができました。イスラエル民族に続いて、エジプト軍もその道を進もうとしたのですが、エジプト軍が通る時には海は元の姿に戻ります。このようにして、イスラエルの行く道を神が切り開いて、導いてくださったのです。聖書の神様は「たとえ海の中であっても道を作ることができるお方」なのです。
「あなたの道は海の中にあり」と詩編77編は歌っているのですが、この詩編の前半を見ると、詩人の、眠ることができないほどの困難な状況が伺えます。忘れようとしても、頭を巡り続けるような問題が、現実の社会では絶えることがありません。どんな活路も見出せず、悩みは深まり、不安は増大します。しかし、どのような状況であっても、神様はあなたに確かな道を与えることのできるお方です。
神の子であるイエス・キリストは、「私は道である」とおっしゃいました。イエス・キリストを信じることこそ、神様が差し出された救いの確かな道です。この道を通れば、確かな目的地へと必ず辿り着きます。教会は、今日もあなたを救いへと導く「道」を宣べ伝えています。