2018年12月16日(日) 神、我らと共にいます

 おはようございます。松山教会の久保浩文です。
 先週に引き続き、イエス・キリストの誕生にまつわる話をします。

 天使からマリアへの「受胎告知」と呼ばれているところです。天使ガブリエルは乙女マリアが神の子イエス・キリストの母となるという知らせを彼女に伝えるために、「ナザレというガリラヤの町」に神から遣わされました。

 「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」とガブリエルはマリアに挨拶をしています。「恵まれた方」つまり「あなたは既に恵みを受けた者だ。」という意味です。

 「おめでとう」のラテン語訳から、「アヴェ(喜びなさい)・マリア」という語が生まれました。神がマリアを彼女の意志とは無関係に既にご自分のご計画の実現のために選び分けているのです。マリアが神から選ばれたのは、彼女がたとえば、他の女性と比べて特別に信仰が深く、敬虔であったから、ではありません。ただ、神の御心に従って、大勢の女性の中からマリアをお選びになったのです。

 天使はマリアに「恐れることはない。あなたは神の前に恵みを見出した。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」と命じました。これは、聖霊がマリアの上に臨んで処女降誕の奇跡が起こるということです。私たち人間を罪から救うためには、救い主は私たちと同じ人間でなければいけません。

 しかし同時に、私たちの罪という負債を肩代わりする、贖いをするには、その人自身に罪があってはいけません。いわゆる通常の出生によって生まれてくる者は、誰一人としてこの条件を満たすことは出来ません。そこで救い主は、聖霊の働きによって、あらゆる罪と汚れから守られた、処女降誕という超自然的な方法によって生まれてくることが必要だったのです。

 とは言っても、まだ結婚生活を始めてもいない娘が、子供を宿して産むことは、どれほど大変なことでしょうか。これからマリアは、身に覚えのない罪を犯したものとして生きていかなければなりません。神は彼女に「恵み」を与えるどころか「重荷」を負わせられたのではないでしょうか。マリアも戸惑いと恐れを隠しきれませんでした。

 「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」とガブリエルに問い返しました。その答えは「神にできないことは何一つない。」(37節)でした。神の語り給うすべての言葉は、必ずその通りになる。実現するのです。マリアは神の無から有を生み出す力、不可能を可能にする力への信仰とともに、神が語られたことは必ず実現するという信仰により、「お言葉どおり、この身に成りますように」とすべてを受け入れました。マリアは、神の言葉を信じて、神の御子イエス・キリストを自らの胎内に宿すことによって、「神は我々と共におられる(インマヌエル)」ということを恵みとして与えられました。

 私たちが「信仰を持つ」ことは、日常生活の全てにおいて「神が共にいて下さる」ことを実感することです。神に従って生きることは、時として、苦しみと艱難の中に身を置かなければならないこともあります。しかし私たちは、マリアのように「わたしを、あなたのご計画どおりに用いて生かして下さい。私にあなたの御心を実現してください。」という祈りと願いに生きたいと思います。