2018年12月2日(日) 闇に差す大いなる光
おはようございます。松山教会の久保浩文です。
今年も早や、クリスマスの時を迎えました。この1年は、あなたにとってどのような年であったでしょうか。今年が悪い年であれば、来年こそは良い年であってほしいと願うでしょう。良い年であっても、それがいつまでも続くとは限らないという不安から、来年もどうか良い年に、と思うのではないでしょうか。暗い事件や突然の災害のニュースに触れるたびに、私たちは、それが決して他人事ではないと、いやおうなしに気づかされます。病気への不安、貧困への不安…現代は、不安に満ちた時代です。
かつて、預言者イザヤが活躍した時代、そこはまさに不安と絶望に満ちた時代でした。イザヤの目には人々が「闇の中に歩む民」「死の陰の谷に住む者」として映りました。北イスラエルはアッシリアによって侵略され、植民地政策によって住民の多くが捕囚となりアッシリアの支配下におかれ、イスラエルの民にとっては悲惨な「暗闇」でした。顔を天に向けて神に信頼する気持ちも失せていました。
しかしイザヤは、異邦人の地になってしまったガリラヤにも主なる神の栄光を見ました。イザヤにとって唯一の希望は「しるしと奇跡」をもってご自身をあらわされる力ある生ける神、主でした。
「闇の中を歩む民は大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に光が輝いた。」(イザヤ9:1)
イザヤの見た「闇の中に差し込む一筋の光」とは、イスラエルの捕囚の民が回復され、アッシリアの圧政から解放されることでした。
かつて神が天地創造された時、地は混とんで暗闇に覆われていました。神は暗闇の中にまず光を創造されました。その光は、物理的な光だけではありません。神の光は、私たちの心の闇を照らし出す光でもあります。
「主はわたしの光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう。」(詩編27:1)
神の救いという光だけが、私たちの人生の不安と恐れを取り除いてくれます。
「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」(ヨハネ1:9)
神は、イザヤの預言どおり、世を照らすまことの光としてご自分の独り子を世に遣わして下さいました。それがイエス・キリストです。
イエスは「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネ8:12)と言われました。イエス・キリストこそ、イザヤが見た闇の中の希望の光です。
世の光とは、私たちに、ただ希望と幸福と生きがいを与える一筋の光であるということではありません。私たちを罪と死という底知れない闇から救い出して下さる唯一の光なのです。イエスは真の光として、今も、この世にあって輝きを放っています。イエス・キリストを信じて、イエスに従う者は、たとえ人生の暗闇の中におかれても、イエスの御言葉が進むべき人生の足元を照らし出して下さいます。
さらに、私たち自身も「今は主に結ばれて、光となっています。」(エフェソ5:8)私たちは、光の下に置かれているだけではなく、私たち自身が、この世に広がっている暗闇の中で輝く光なのです。私たちを通して、暗闇の中の人達がイエス・キリストの救いの恵みを知り、信じることができるようにと招いておられるのです。あなたもどうぞ、この光のもとへおいで下さい。