2018年9月30日(日) 清和に感謝!!

 おはようございます。南与力町教会会員の安部順子と申します。今は高知市に住んでいますが、生まれたのは現在は香美市になっている土佐山田町です。

 当時日本キリスト改革派山田教会の牧師であった橋元亘先生から、幼児洗礼を授けられました。気がついたら、物心ついたときには、教会に行っていました。たまたま、教会が隣で直接教会の裏口に通じる小道があったので、離れに行く感じというか、今、振り返ると、まさに我が家だったとも言えます。

 家族が牧師というわけではありません。しかし、町の中では父親が牧師だと思っていた人たちがいたようで、父が町の役職をさせていただくようになったときには「あんたとこのお父さんは牧師じゃなかったが、牧師さんがなっていいがー」と言われ、驚きました。ともあれ、教会が隣だったのは神様からいただいた大きな恵みだったと、あらためて気づかされています。

 そして、2代目牧師の山崎謙二先生の熱心な祈りによって、14歳の時に信仰告白する決心を致しました。同時に聖日礼拝の奏楽奉仕をさせていただくことになりました。ご奉仕を始めてからほぼ半世紀が過ぎたことになります。力のない者が、今までご奉仕できているのは主のお導きと教会の皆様のお祈りに支えられているからだと思います。感謝申し上げます。

 この時受洗していなければ、周囲の影響を受けやすい時期ですので、清和女子高等学校にも進学していなかったかもしれません。その当時、清和は高知市本宮町にありました。ペギー葉山さんの「学生時代」にあるような蔦の絡まるチャペルで、下級生と上級生とが長椅子に並んで守った朝礼拝は、人生で最も穏やかで平和な時でした。

 コヘレトの言葉12章1節に「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。」とあるように、清和では多くの姉妹が真の福音に出会って、私たちの救い主イエス・キリストを信じ洗礼を受け、日曜日は当然のように教会で礼拝を守っていました。特に南与力町教会には大勢出席していたようです。カムバックチャーチ!いつでも帰ってきてください!

 現在は清和学園となって、舟入川近くの自然豊かな南国市明見にあり、一条橋との距離84mで10秒という日本一駅の間が短いとさでん交通の駅名「清和学園前」でも広く知られています。

 清和には創立以来、高知県の他の学校にない大きな特長があります。それは、イエス・キリストという永遠に変わることのない先生に教えていただいているのです。イエス・キリストこそ清和でしか出会えない先生です。人生で最大の恵み、一番大切な教えといっても言い過ぎではありません。

 同窓会役員として学校に伺う機会をいただき、他の学校の友との関係では味わえない同じ信仰を持つ先輩後輩と共に、学校のために祈りつつ働く幸せを与えられています。
 私自身の清和を卒業してからの45年間は順風満帆とは言えない日々でしたが、主がそばにいて支え続けてくださっているので安心して、今はこの世での日々を喜び楽しむことができています。

 最後に6月12日学校記念日のもとになった聖句テモテへの手紙第一 6章12節を拝読します。
 「信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。」