2018年9月9日(日) 大空と神の言葉

 おはようございます。南与力町教会牧師の坂尾連太郎です。
 わたしたちは神様を目で見ることはできません。ではそのような神様をわたしたちはどのように知っていくことができるのでしょうか。詩編の19編にはわたしたちが神様を知る二つの方法が示されています。一つは「大空」によって、もう一つは「主の律法」によってです。

 まず「大空」については2節から5節でこう言われています。
 「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく、声は聞こえなくても、その響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう。」

 わたしたちが大空を見上げると、昼には太陽が、夜には月と星が輝いています。そしてそれらはすべて神様が創造し、配置なさったものです。太陽は東から昇り、西に沈んでいきます。その光景を詩人は次のように表現しています。
 「太陽は、花婿が天蓋から出るように、勇士が喜び勇んで道を走るように、天の果てを出で立ち、天の果てを目指して行く。その熱から隠れうるものはない。」(6-7節)

 このような太陽の動きはすべて、神様の御手の業によることなのです。それゆえ、天は神の栄光、神のすばらしさを物語り、大空は神の御手の業を示しているのです。昼と夜が繰り返し巡っていくのは、まるで昼が昼に神様のことを語り伝え、夜が夜にその知識を送っているようだ、と詩人は語ります。わたしたちの耳にその声は聞こえなくとも、その響き、その言葉は確かに世界の果てにまで向かい、届いているのです。

 それゆえ、全世界の人々は、この大空を通して神様を知ることができます。しかし、実際には、世界中のすべての人が、創造主である神様を知り、ほめたたえているわけではありません。むしろ、人間の手で作った偶像を神様として拝んだり、太陽や月などの自然そのものを神様として崇めている、そのような現実があります。それは、わたしたち人間の心が罪によって鈍く、暗くなってしまったからです。

 そこで神様はイスラエルを選び、ご自分の教え、すなわち律法を与えてくださいました。それが8節から9節では「主の律法、主の定め、主の命令、主の戒め」と呼ばれています。そしてそれは詩人にとって「金にまさり、多くの純金にまさって望ましく、蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘い。」(11節)、こう言われています。

 なぜならば、主の教えは、飢え渇いた「魂を生き返らせ」、「心に喜びを与え」てくれるものだからです。また主の教えは「無知な人に知恵を与え」、「目に光を与え」てくれます。暗く曇ってしまったわたしたちの心の目に、御言葉は光を与え、真の神様についての知識を与えてくれるのです。主の御言葉はわたしたちにとって恵み深く、喜ばしいものです。

 それと同時に、主の教えを通してわたしたちは戒められ、自らの罪を知らされます。それゆえ詩人は、13節から14節で主に祈っています。
 「知らずに犯した過ち、隠れた罪から、どうかわたしを清めてください。あなたの僕を驕りから引き離し、支配されないようにしてください。そうすれば、重い背きの罪から清められ、わたしは完全になるでしょう。」

 わたしたちには、自分が気づかずに犯した過ち、隠れた罪が多くあるでしょう。またわたしたちはすぐに驕り高ぶり、罪を犯してしまいます。「心を尽くして神様を愛し、隣人を自分のように愛しなさい」という主の戒めを破ってしまうのです。 主が、そのような罪からわたしたちを清めてくださるように、そして「わたしの口の言葉」が、「わたしの心の思い」が、主の御前に喜ばれ、受け入れられるものとなるよう、詩人と共に祈ってまいりましょう。