2018年3月25日(日) 真の宝イエス・キリスト
おはようございます。松山教会の久保浩文です。
春、特に3月は引越しのシーズンです。私も、2014年の4月に松山教会に赴任して、早4年になりました。
引越しの大変さは、やはり荷造りにあるでしょう。期日が迫り、慌ただしくなってくると、バタバタととにかく何でも詰めるようになり、引越し先で、あれはどこだっけ?この箱は何だっけ?ということになります。何回か引越しを重ねるうちに、一度も開けないままだった箱を引越しを前にして初めて開ける、ということもありました。時間が経って開封したものは、湿気とカビにやられてしまい、結局は捨てなければなりませんでした。
その時に思い浮かんだ聖書のみ言葉があります。
「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。」(マタイ6:19-20)
イエス・キリストは、私たちが富をもつこと自体は否定されてはいませんが、地上の富がしばしば私たち人間の心を惑わし、誘惑し、支配することを警告しておられます。イエスは、「主の祈り」の中で「わたしたちに必要な糧を今日与えてください。」と祈ることを教えています。
私たちは、ややもすると、「備えあれば憂いなし」という感覚で、必要以上に財産を蓄えたくなります。将来の生活を保障してくれるものは、やはりお金だ、といくら蓄えても足りないような感覚になるのです。しかし、いくら財産を蓄えても、それが命の保障にはなりません。命は、神によって与えられるものだからです。いくら立派な病院にかかり、高価な薬を使っても、命そのものは保障されません。また、財産に比例して命の長短が決まるのでもありません。命の源は神です。私たちはいつも、神の恵みと憐れみによって生かされ、日々、生きていく上での必要を備えられていることに目を向けるとき、感謝して、平安に生きることができます。
イエスの言われる、「富は天に積みなさい」とは、富に対する執着心から解放されて、イエス・キリストによって真の命の源なる神を知り、神から受けた恵みに感謝しつつ、この地上の富、財産を神の御心に適うように用いていくことです。「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」とは、私たちの心が何によって支配されているか、ということです。地上の富に依存すれば、心はそこに束縛され、執着します。
しかし、日々、神に絶対的な信頼を寄せ、天の御国に思いを馳せて生きるとき、自ずと心は天上に向かいます。この地上での財産は、時間と共に色褪せ、朽ち果てていきますが、神は、イエス・キリストを信じる者には「天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。」(1ペトロ1:4)
この御言葉にこそ、私たちは希望と喜びを見出したいと思います。永遠の命と御国を受け継ぐという約束が与えられているのです。これは、私たちが地上にて蓄えた、どのような宝も及びません。イエス・キリストこそ、私たちにとって真の宝なのです。