2018年2月4日(日) 共に生きる(1)子育て
おはようございます。広島教会の牧師、申(シン)ともうします。今日からこの1か月間、共に生きるというシリーズで人生の様々なことについて考えたいと思います。
今日は、最初に「子育て」についてのことです。この番組を聞いておられる方はすべての方が子育てをされておられる方だとは思いません。ある方は独身であり、ある方は子育てを終えられた方もいらっしゃるでしょう。しかし、自分が子供であった時期を持ったことのない方はいないと思います。
皆さんにとっては、お母さん、お父さんはどんな方だったでしょうか。厳しい親、それとも優しい親だったでしょうか。
わたしの親は両親ともとても働き者で、クリーニング屋を営んでいましたが、町では一番早く店を開けて一番遅く店を閉める所として有名でした。しかし、父は酒と娯楽が好きで、夜になると店を母に任せていつも飲みに行きました。だから、子供と関わるのはいつも母親で、母は教育熱心で、勉強に対してはとても厳しい人でした。
両親は、子供の結婚式の日も店を開けるほどの人で、365日休みはありませんでしたので、親との楽しい思い出はあまり残っておりません。そのような環境で育ったわたしですので、自分の家族にはもっと沢山の思い出を作ろうと、わたしはいつも思っています。
我が家には二人の子供がいます。上が女の子で、1歳下の男の子がいます。
我が家の子育ての中で一番良く心がけたことは、家族だけで過ごす時間を設けることです。数日間車で旅をすることもあれば、コテージなどを借りて一泊でも一緒に過ごすことを心がけていました。すると、子供たちは自然に家族が大好きになりました。
息子は発達障害を持ち、娘は中1から高知県で一人暮らしをしています。連休などで久しぶりに娘が家に帰ると、お互いにハグをして愛情を表現します。高3の娘と高2の息子も当たり前のようにお互いにハグをします。どこの家でもできることだとは思いません。子供が小さい時からそのような習慣があったからこそできることだと思います。
娘とは遠く離れているので1年の中で一緒に過ごせる日数も少ないですが、しかし電話とかSNSを通して毎日のように話をします。ある時は1時間以上電話で話をすることもありました。娘は他の人には話せないことを良く話してくれます。わたしたちは良く娘の話を聞いてあげるように心がけています。
どこの家も、その家の子育ての仕方があると思いますが、親の思いのまま、子供が育ってくれることは難しいと思います。しかし、親と子供が良く話し合って子供の意見を尊重しつつ、親本人のためではなく、子供のためにどんな助けが必要であるのかを考えるならば、期待を大きく外れることはないと思います。
聖書に「父親たち、子供をいらだたせてはならない。いじけるといけないからです。」(コロサイ3:21)という言葉があります。これは、単純に子供に怒ってはいけないことを言っているのではありません。子供に対して無理な要求をし、子供を刺激させてはいけないことを言う言葉です。
娘と様々な話をする中で、娘が大人に対してよくいらだってしまうのは、わけの分からないことを要求されたり、正当な理由なしに怒られることでした。大人は上に立っていると思って、子供を理解させる努力もしないでただ服従を要求しがちですが、子供も一人の人格を持つ人間として考える必要があると思います。
聖書は、よく神様を父親としてたとえています。父親として神様はどんな方でしょうか。神様はわたしたちの話に良く耳を傾けてくださる方であり、わたしたちの嘆き、わたしたちのつぶやき、わたしたちの叫び声を聞いてくださる方です。そして何よりも誰よりも、わたしたちを愛してくださって、御自分の一番大切な独り子を死に渡してまで、私たちの魂を救ってくださる方です。
聖書に記されている神を知れば知るほど、わたしたちがどのような親になるべきかを深く悟ることが出来ます。どうか、皆さんの子育てにおいても、聖書に記されている神に倣って、愛に満ちた子育てがなされますようにお祈りいたします。