2018年1月21日(日) み言葉の種

 おはようございます。忠海教会の唐見敏徳です。
 忠海には先週お話しした聖恵会とともに聖愛幼稚園という幼稚園があります。創立は聖恵会よりさらに半世紀前、1910年1月1日のことです。当時の忠海教会の牧師であった井原郷祐先生と節子夫人の祈りと献身的なお働きによって創設され、今年で108年目を迎えます。わたしはそこで毎週金曜日の朝、幼稚園の子どもたちと一緒に礼拝をささげています。こども向けの賛美歌、お祈り、お話しなど、合わせて30分くらいの礼拝です。

 礼拝ごとに、かわいいイラストと聖書の言葉が書かれた聖句カードを一枚ずつ子どもたちに配ります。子どもたちは受け取った聖句カードを自分のカード帳に貼っていきます。4月から3月までの1年間礼拝に出席すると、カード帳がちょうどいっぱいになります。

 礼拝で子どもたちに話すお話は、クリスマスやイースターなどの特別な時を除いて、聖句カードに書かれた聖書個所に基づいて話します。ちなみに次の礼拝で配る聖句カードには、ノアとその家族、箱舟、そして虹のイラストとともに次の聖書の言葉が記されています。
 「すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。」(創世記9:13)。ですから、今度の金曜日に話すのはノアさんのお話しです。先週の金曜日は洪水の場面をお話ししましたから、その続きということになります。

 幼稚園の子どもたちに聖書のお話をすることには、独特の難しさがあります。幼稚園の子どもと一口にいっても、年少さんと年長さんではずいぶん違いがあります。入園したばかりの年少さん、それも早生まれの年少さんの理解力と、卒園間近でそれなりに文字や記号の意味がわかるようになってきた年長さんの理解力とでは大きく異なります。先ほどの聖句カードの内容「すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。」でいえば、年長さんは「契約のしるし」を「約束のしるし」にいいかえればだいたい理解できるでしょう。けれども、年少さんは「雲」や「虹」でさえも、実際にその絵を見せないとわからないかもしれません。

 そんな子どもたちに聖書のお話をするのは確かに大変ですけれども、同時に面白さもあります。思いがけない反応、こちらが驚くほどの洞察力を見せてくれることがあり、時には牧師のわたしの方が教えられるということもあります。

 聖書の言葉は種のようなものです。いつ芽が出て、葉を広げ、花をさかせ、実を結ぶかはわかりません。わたしの拙いお話が子どもたちにどれほど伝わっているか、時に不安になることもありますが、聖書の言葉には力があることを信じて、子どもたちの心にみ言葉の種が届くようにと祈りながら、毎週お話ししています。

 そしてこの思いは、今ラジオやインターネットを通じて「キリストへの時間」をお聞きの皆さんに対しても、まったく同じです。マイクの前で話しているわたしには、この放送をお聞きになっている皆さんのことはわかりません。年齢も性別も職業も、どれくらい聖書やキリスト教のことをご存知かもわかりません。それでも、聖書の言葉には力があることを信じて、お話ししています。みなさんの心にみ言葉の種が届くように、そして、やがてそれが芽を出し、元気に葉を広げ、美しい花を咲かせ、豊かな実を結ぶことを願いながら。