2017年12月3日(日) 主に口づけせよ
おはようございます。私は清水教会の張在bと申します。
聖書の御言葉によりますと、神様は、諸国にそれぞれの支配者を立て、支配者の治めることによって、国が運営されるようにされました。また、神様は国の支配者が民に善を行うようにと、彼に権威を与えられます。
神様は天地を造られ、特に人間を神様に似せて、神様のかたちにかたどって造られて、このすべてのものを統べ治められます。地上の支配者は、国だけをやっと統治する者です。支配者は、神様が彼らにしばらく任せた権威をもって、その国を統治しているのです。だから、国を治める支配者たちは、神様の働き手に過ぎない者なのです。
その昔、神様は御心に適う新しい王を立てられました。その王の治めることによって、国は安定と平和と幸いであることが約束されています。このことは、イエス・キリストのお働きを通して実現しています。要するに、国と民の幸せとは、御子イエス・キリストから完全にできます。だから支配者にとって最もな義務とは、御子イエス・キリストに従って統治し、イエス・キリストに倣って治めるのです。
詩編には、旧約時代に王が即位する時に用いられた歌が記されています。それは、「すべての王よ、今や目覚めよ。地を治める者よ、諭しを受けよ。畏れ敬って、主に仕え、おののきつつ、喜び踊れ。子に口づけせよ、主の憤りを招き、道を失うことのないように。主の怒りはまたたくまに燃え上がる。いかに幸いなことか、主を避けどころとする人はすべて。」という歌です。(詩編2:10-12)
この歌には、「すべての王よ」と呼びかけながら地上の支配者たちに対する勧告があります。その呼びかけは、神様への信頼と喜びをもって主に仕えていくことへの招きになっています。また、「子に口づけせよ」と呼びかけながら神様への服従が勧められています。「子に口づけせよ」というのは、神様を畏れ敬って、神様に仕え、自分の身をささげて尽くすことの意志を表す姿です。これは神様が遣わされた御子に口づけせよという意味です。すなわち、これは地上の支配者たちが救い主であるイエス・キリストへの信頼と服従を示せということです。
古代、イスラエルの時代には、王は神様と契約の関係を通して、神様の子として養子になり、神様の子と考えられていました。王は神様から呼ばれて、神様の子になって、神様の権威をもって地の果てまで治められます。それで真の支配者とは、天からの権威をもってきた御子イエス・キリストなのです。
このように、神様はすべての国をご自分のものとして治めるお方です。ですので、神様はどんな国も幸いな国になるように望んでいらっしゃいます。どんな国も、皆、神様を避けどころとしていく時、幸いなことになります。神様を避けどころとしていく時、民は幸いです。
それでは、民の本当の幸いなことはどこからくるのでしょうか。それは、国が御子イエスを畏れ敬って存在し、民がイエスに仕えながら生きることによってできます。国と民の幸いは全能の父なる神様の主権からくるのです。国の始めと終わりは神様にあるべきです。だから、詩編の詩人は、世の真の幸いのために、すべての国と民にこのように尋ねています。「国よ、民よ、いかに幸いなことか」と。