2017年7月2日(日) 福音の力
おはようございます。南与力町教会牧師の坂尾連太郎です。
皆さんはどのような思いでこの「キリストへの時間」を聞いておられるでしょうか。この番組は60年以上にもわたって放送され続けています。その理由は基本的にはただ一つだとわたしは思います。それは「福音を宣べ伝えるため」です。この番組を通して、一人でも多くの方に「福音」をお届けしたい、聞いてもらいたい。そのような願いと熱意によってこの番組は続けられてきました。
福音を宣べ伝えるということは、キリスト教会が2000年以上の歴史にわたってずっとし続けてきたことです。それは、主イエス・キリストが教会に対し福音を宣べ伝えるという使命を与えられたからです。そしてキリスト教会の最初の時代に、福音を宣べ伝える働きを担ったのが「使徒」と呼ばれる人たちです。そして「パウロ」という人も使徒の中の一人です。パウロという人は特に、異邦人に福音を宣べ伝えるということにおいて大きな働きをしました。
そのパウロが書いた手紙が新約聖書に納められているのですが、その一つが「ローマの信徒への手紙」です。ローマというのは当時のローマ帝国の都であり、中心地です。しかしパウロはこの手紙を書いたときはまだ、ローマに行ったことがありませんでした。しかし、彼はぜひローマにも行き、そこで「福音を宣べ伝えたい。」と願っていたのでした。そしてパウロがこの手紙を書いた理由も「福音を告げ知らせるため」に他なりません。
パウロは福音を宣べ伝えるにあたって多くの困難を経験した人です。パウロから福音を聞いたすべての人がそれを信じたわけではありませんでした。福音の中心的な内容は、イエス・キリストがわたしたちの罪のために死んだこと、そして三日目に復活されたことです。しかし、そのような内容は、世の中の多くの人、特に知恵のある人たちからは愚かなものとして嘲られたのです。そしてこのことは基本的には今日も変わらないのだと思います。
しかし、パウロはそのような状況にあっても、心折れることなく、福音を宣べ伝えたいという熱意をもって伝道し続けました。そのような熱意はいったいどこから来ていたのでしょうか。パウロはこの手紙の1章の16節で次のように語っています。
「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」
パウロは言っています。いくら世の中の人々が福音をバカにしようと、愚かなものとして嘲ったとしても、わたしは福音を恥としない、福音を恥ずかしいとは思わない。なぜなら、福音は、「信じる者すべてに救いをもたらす神の力だから」だ、と。福音とは単なる人間の教え、知識、哲学といったものではありません。福音には人を救う力がある。いや、むしろ、福音こそ、人を救う神様の偉大な力そのものである。パウロはそのことを知り、信じていたのです。だからこそ福音を恥じなかった。しかもその福音の力、神様の救いの力は「ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに」及ぶ、と言われています。ユダヤ人というのは、旧約聖書の時代から、神様によって選ばれた特別な民でした。しかし神様の救いはそのようなユダヤ人だけではなくて、「ギリシア人にも」、すなわち異邦人にも及ぶのです。信じる者はすべて救われる。福音の力、神様の救いの力は、国や人種といった壁を貫いて信じる者すべてに浸透していくのです。
だからこそパウロは、福音を恥とせず、熱意をもって福音を告げ知らせ続けました。それは今日の教会も同じはずです。福音を聞いて信じる者が神様の力によって救われてほしい。それはパウロの願いであり、教会の願いである。そして何よりも神様ご自身の願いなのです。