2017年4月2日(日) 讃美歌との出合い
おはようございます。宿毛教会員で、オルガン奏楽の奉仕をさせて頂いている瀬戸雅弘です。仕事は児童養護施設の職員をしております。今日は私が初めて讃美歌と出合った時の話をします。
賛美とは、聖書の詩編117篇1節の言葉によれば、「すべての国よ、主を賛美せよ。すべての民よ、主をほめたたえよ。」とある通り、神をほめたたえる行為を表す言葉です。讃美歌は神をほめたたえる歌という意味です。
小学生の頃、授業で音楽室に入ったら、机はオルガンでした。同級生の女の子が「私も弾ける。」と言って、目の前のオルガンの蓋を開けて童謡を演奏し始めた時、新鮮に驚きました。それから私も「ねこふんじゃった」を教えてもらい、自分で音を奏でる楽しさを感じました。しばらくするとどこかから、父親が中古の電気オルガンを貰ってきて、縁側に置いてくれました。高学年になると鼓笛隊、中学生になってからは音楽部、そして日常的にレコードやFM放送を聴き、私は音楽を楽しむようになりました。
色々な音楽を聴きたいと思っていましたが、クラシックFM番組の中で宗教音楽もある事に気付きました。私は青春時代のど真ん中で自由に生きる喜びの中、宗教にだけは取りつかれたくないと思いましたので、意識的にそれらの音楽は避けました。番組表を見ても、曲名が「主よ、人の望みの喜びよ」とか、「主よ私はあなたの名前を呼ぶ」などと文語で表現されていて、これは音楽の化石だと思いました。
しかしある朝、ラジカセのスイッチをオンにしてFM放送をかけると、まだ寝ぼけていて、不覚にも宗教音楽を聞いてしまいました。今から思えばそれはバッハの曲だったのですが、その爽やかさに心が洗われるようでした。
当時、他にもキリスト教ラジオ放送がありましたので、曲名の中で「主」と呼ばれている言葉が、キリストの神を指し示している事をぼんやりと認識していました。「主」という言葉は、それだけで私に大きな存在感を示しました。「あるじ」とも読みますね。私の心の「ぬし」として、神を受け入れる事を迫られるかのように、まるで宗教音楽の曲名が私に布教活動をしているかのように感じました。私は「とんでもない。」と思いました。この私の魂を、他の神になど売ってなるものかとさえ感じました。私の「あるじ」は自分自身だと思いました。
それから高校へ入り、ピアノを弾いたり、仲間とバンドをしたり、作曲をして録音をしたり、音楽を楽しむ生活は広がりました。音楽の最高の美しさを追求しようと考えていました。しかしその一方で、どうしてもその先へは進めないような壁を感じていました。そもそも音楽って何のためにあるのだろうか。どうやって生まれたのだろうか。そんな事まで考えるようになっていました。
その後私は就職をして趣味として音楽を続ける事にしました。会社でクリスチャンの先輩に出合い、賛美に初めて出合いました。彼はギターを弾きながら主を賛美しました。私は、賛美はパイプオルガンやクラシック音楽ばかりと思っていましたので驚きました。讃美歌にも色々な種類がある事を知りました。
やがて私は、誘われて教会へ行くようになりました。聖書の創世記には人類で初めて楽器を奏でた人や、初めて主の名を呼んだ人の事が書かれてありました。私は直感的に、ここに音楽のルーツがあると感じました。自然の美しさや人の感情を私たちはさまざまな歌にしています。しかし、音楽のルーツは宗教的なもの、つまり神に対して叫びを上げる事から始まったと私は知りました。
この「天然の世界」の美しさ、この「人」の思い、これが偶然の産物だとはとても思えません。これを創造主がつくり出し、そしてキリストを通して私たちに愛を教えて下さった不思議なお方がいらっしゃる事を知りました。そして、そのお方に言い様もない喜びと感謝を告白する事、それが賛美である事を知りました。
今、私は子供の時のようにオルガンを、しかも教会で弾いています。人生の途中で音楽の意味を見失いかけました。しかし、今は目的があります。私は自分を他の誰かに支配されたくないと思っていました。しかし今、私は、主が私に心の健康を与えて下さるからこそ、私は自由に生きられることを感じています。主を賛美する事は私の喜びであり、私に力を与えてくれます。終わりに聖書の一節を引用します。
詩編146篇2節
「命のある限り、わたしは主を賛美し、長らえる限り、わたしの神にほめ歌をうたおう。」
すばらしい主を賛美し続ける事、音楽の喜びよりももっと大きなこの恵みを感謝します。そして歴代賛美を奏でて来た人たちと共に、私も主の名前を呼ぶ者としてくださった主の憐れみに感謝します。