2017年2月26日(日) 主のみ旨のままに
おはようございます。清水教会の佐々木恭子と申します。
数年前、この放送を通して一度お話しさせて頂いたことがあります。50年生活を共にしていた夫が天に召されまして、そのことを思いつつお話しさせて頂きたいと思います。
まず、聖書には次の言葉があります。
「人は皆、草のようでその華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」(ペトロの手紙一 1章24,25節)
この御言葉は、どのような時代や状況でも、神の言葉は変わることがなく、慰めがあり、希望と勇気を与えてくれます。私も、この言葉に慰めを与えられてきました。
私は、若い日にイエス・キリストを自分の救い主として信じる信仰が与えられました。このことは、人生最大の喜びであり、大きな希望となっています。しかし私の人生は、決して平安な日々ばかりではなく、病気というつらく苦しい苦難の時もありました。その中で、主の言葉に支えられてきました。今思い返せば、喜びと苦しみのどちらも、神様からの愛のプレゼントだと思えます。
人生を振り返りますと、夫は、69歳の時、脳梗塞による左半身不随を患いました。その後、天に召されるまでの18年間の介護生活は本当に長い月日でした。健康であると思っていた者が突然不自由なものとなり、今まで自由にできていた日常の生活ができなくなり、日々の生活すべてが一変いたしました。それは、まるで御言葉にあるように、「草は枯れ、花は散る」と言われるそのものです。仕事を勤め上げた後に、落ち着いていた家を、改築することが必要となり、車椅子で玄関から部屋への移動、ベッドからお風呂場への移動をできるようにし、また手すりをトイレや階段、廊下に可能な限り取付けました。また、私は車の免許をもっていなかったので、58歳で免許をとりました。車の運転は夫の役割でしたが、すべて私がすることになり、教会への出席、病院への送迎、デイサービスでの送迎をする生活が始まりました。
夫の具合については、担当医師からはもうよくならないと云われました。夫はこのことをどのように理解したかというと、「自分がこれ以上罪を犯さないために神様がなさったことであると思う。」と云っていました。こう云えたのは、体の自由が失われた状況で、先ほどの御言葉を心に納めて、神様と向き合っていたからだと思います。
「人は皆、草のようでその華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない」
私たちは神様の御前に二人で立たされ、また、問われ、そして励まされながら二人三脚で歩んで参りました。悲しみや悩み、時には苛立ちや心の葛藤がありましたが、いつも神様が共にいてくださり、神の御言葉による慰めと助けによって、力づけられて前に進むことができました。
夫が神のみもとに召される直前の日曜日、かなり弱っていた夫は礼拝へ行く決心をし、私たちは教会へ行きました。その時の説教が「天国へのパスポートを持つ者」という題でした。天の御国への望みを与えられていることの素晴らしい幸いを与えられ、本当に感謝しています。
今では、夫との日々を懐かしく思い起こします。畳の部屋での歩行訓練。私が運転をして、趣味の写真を撮りに遠出をした楽しみ。色々あった人生ですが、本当に懐かしく、恵みに満ちていると思えるのは、自分たちに色々あっても、永遠の変わることのない聖書の言葉を夫と共に受入れてきたからだと思います。そのように導いてくださった神様を心からほめたたえます。