2017年2月19日(日) 世界がもし100人の村だったら
おはようございます。清和女子高等学校2年の申有美です。
この間「世界がもし100人の村だったら」という本を読みました。このお話は世界中を感動でつつんだ有名なインターネットの民話です。
世界という言葉を聞くと私たちが想像するより大きくて、私たちが考えるには難しくて、ややこしい言葉だと私は感じます。しかし世界を100人の村に例えたのがこのお話です。
この村にはさまざまな人が住んでいます。まず、男と女、子どもと大人とお年寄り、同性愛者と異性愛者、有色人種と白人、それぞれ違う国籍、宗教、言語。それぞれ条件の違う人たちが村に住んでいます。もちろんその中には、貧しい人もお金持ちも健康な人も病気の人もいます。いろいろな人がいるこの村ではお互いに理解し、尊重し合って生きていくことができるのでしょうか。
この本にはこう書いてあります。「あなたとは違う人を理解すること、相手をあるがままに受け入れること、そして何よりそういうことを知ることがとても大切です。」
この言葉は簡単に行動に移せるようで、すごく私たちにとって難しいことだと思います。例えば学校生活をふり返ってみると、自分と少し考え方が違うだけなのに、それを理解をしようとせずケンカをしてしまいます。あるいは自分のことしか考えず、自分の考えを押しつけて相手を傷つけたりします。
このようなことが起きてしまうのはこの本に書いてあるように、相手のことをしっかりと知らず、相手を理解しないので起きるのだと思います。理解し、相手の気持ちを知り、思いやることができるのなら、一人一人が違う条件を持っているこの100人の村でも幸せに暮らせるのでは?と思います。そして病気の人や貧しい人とは助けてあげるという上から目線ではなく、一緒に戦うという気持ちも必要だと思います。自分はお金があるからえらいのではなく、お金があるからこそ一緒に戦う、このような人がいるならばこの村はもっと幸せになるでしょう。
金子みすゞさんの「みんな違ってみんないい」というこの言葉は、この状況にぴったりの言葉だと思います。それぞれ持っているものは違うけど、神様はみんなを平等に作られたはずです。神様はただ、一人一人違う素敵な魅力をお与えになっただけだと思います。それを分かり合えるのなら、この村は間違いなく笑顔あふれる幸せな村になると思いました。
私が一番心にひびいた言葉は、「もしもこのメールを読めたなら、この瞬間、あなたの幸せは2倍にも3倍にもなります。なぜなら、あなたにはあなたのことを思ってこれを送った誰かがいるだけではなく、文字も読めるからです。けれど何よりあなたは生きているからです。」という言葉です。本当に確かにと思いました。この文を読める時点で私は幸せ者なんだ、生きているということが幸せなことなんだ、と心にひびきました。私は幸せな家庭で産まれました。だから人生の中で大きな傷を負ったことはまだありません。しかし、私はある機会でそれがあたりまえではない、ということを知りました。
私はボランティアで月に一度、児童養護施設で子どもと3時間ぐらい遊んでいます。そこにいる子どもはみんな、さまざまな傷をかかえて一緒に暮らしています。
ある日、一人の子どもが私にこのように話しかけてきました。「おねえちゃん、パパママ元気?」 私はえ?と思いながらも「うん、元気で。」と言うとその子は「私はね、パパママが元気な所見たことないがってね…」と笑顔で言ってきました。
私はこの言葉の意味が最初、わかりませんでした。あとで施設の先生に聞いてみると、この子の両親は毎日のようにケンカをしていたらしく、その子は両親が元気で笑顔な所を見たことがないまま、この施設に入ったそうです。私は何もその子に返してあげる言葉を見つけることができませんでした。それは自分が今までどれだけ幸福だったのか思い知らされ、気づかされたからです。私は、本当に神様に感謝しなければいけないと、改めてこの時思いました。
最後に本にはこう書いてあります。「まずあなたが愛して下さい。」
最初から互いに愛し合うのは難しくても、自分が先に相手を愛することができるのなら、この村の状況は変わるのではないでしょうか。そして互いに愛し合う頃には、この村、いえこの世界は救われていると私は信じたいです。