2017年1月22日(日) 永遠を変える出会い
おはようございます。高知教会の小澤寿輔です。
今朝はまず、ヨハネによる福音書1章45節以降のお話に触れたいと思います。
イエスの弟子となったフィリポがナタナエルという友人に出会って「救い主に会ったんだよ、ナザレのイエスだ」と知らせる場面があります。
けれどもナタナエルは信じようとしません。するとフィリポは、「来て、見なさい」と言って、全く興味を示さないナタナエルをイエスのもとに連れて行きます。
ナタナエルがイエスと出会って一言二言ことばを交わすと、すぐにイエスを信じて「あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」と信仰を告白します。
ナタナエルはフィリポとの出会いによってイエスを信じるという、人生の大きな転換期を迎えました。
実は私にも、このナタナエルに似た経験があります。私は、日本の大学を卒業すると、すぐに大学院留学を目指してアメリカへ渡りました。将来は地球環境保全の分野の専門家となって国際的に貢献したいと思ったからです。
初めの一年間は大学院に入るために語学学校で英語の勉強をしましたが、その間、アメリカ人夫婦の家にホームステイさせていただくことになりました。その夫婦は、とても熱心なクリスチャンでした。とくに奥さんのパムは、神様によく祈り、聖書をよく読み、賛美を歌うのが大好きで、神様を愛しているのがよく伝わってきました。また、明るく積極的な性格で、アメリカ生活に慣れていない私の面倒を本当によく見てくれました。
そんなパムとの生活ですが、少し困ることもありました。彼女と一緒にいると、初めにどんな話題で話をしていようが、ふと気がつくといつも最後には聖書の話になっていて、私に説教をしているのです。それも一日に3時間は話すのです。
こういうことは、まだ信じていない私にとって、キリスト教について学ぶ、またとない機会と思う一方、正直言ってウンザリといった気分になることがありました。どこに逃げることもできず、私はこのような1日3時間の説教を約3ヶ月も聞かされたのです。
けれども、そういう生活の中で、次第に心が触れられてきているのに気が付きました。日曜日には、彼らが集う教会に私も行かせていただき、一緒に礼拝するようになりました。ときには、礼拝中に感動して涙を流すこともありました。
ある日の夕方、私はパムに促されて神の御前に悔い改め、イエス・キリストを救い主と信じて心にお迎えするお祈りをしました。その1ヶ月後には、洗礼を受けることにもなりました。
あれから25年を経た昨年、パムが長い闘病生活の末、息を引き取られたという知らせが届きました。その間、離れていたとは言え、深い悲しみを覚えました。そして当時のことを振り返り、改めてパムに感謝したのでした。
25年前、もし彼女と出会っていなかったら、もし彼女に無理やり聖書の話を聞かされる毎日が無かったら、もし彼らの集う教会に行かせていただくことがなかったら、もし彼らのクリスチャンとしての生き様を目の当たりにすることがなかったら、今の私はどのような人生を歩んでいたのだろう。
イエス・キリストと出会って救われていたのだろうか。私は、改めて気が付きました。パムとの出会いは、私の一生を、いいえ、私の永遠を変える宝のような出来事だったのです。そのような出会いを用意してくださっていた神に心から感謝します。
そして、パムを通して出会ったイエス・キリストにこれからもお従いし、神の栄光を現し、神を永遠に喜ぶ人生を歩みたいと、そう願います。
あなたにも、新しい人生に導いてくれる友との出会いが与えられることを心から祈ります。