2017年1月8日(日) 神に召し出されて働く者

 おはようございます。高知教会の小澤寿輔です。
 明日は成人の日ですね。このラジオを聞いておられる方の中にも、成人となられる方がおられるのではないでしょうか。
 「成人」という言葉を国語辞典で調べると、次のようにありました。
(1)おとなになること。成年に達すること。また、その人。おとな。
(2)知徳がそなわり、人格がすぐれた人。思慮分別をわきまえた人。

 おとなになるということは、「知徳」すなわち「知恵」と「道徳」が求められるということなのですね。
 では、その「知恵」と「道徳」は、どのようにして得ることができるのでしょうか。
 実は、それらは神からいただくものなのです。
 今朝は、旧約聖書の列王記上3章のお話から、ソロモン王がどのようにして知恵を得て、栄華を極めるほどの国を造ることができたのか、そのことに注目してみたいと思います。

 ソロモンが父ダビデ王から継承した王位に即位し、ギブオンで礼拝をすると、その夜、神が夢のうちにソロモンに現れて、彼に「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」(5節)と語りかけられました。
 彼は、父ダビデに代わる王とされた自分について、「わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません」と告白し(7節)、「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください」(9節)と願いました。

 自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける「知恵」を求めたのが神の御心にかないました。
 それで神は、「見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明(けんめい)な心を与える」(12節)と言われました。その上、彼が求めなかった富も、栄光も、長寿も約束されました。
 ソロモン王は、自分が求めたことが神の御心に適っていたことで、希望通り国を治める責任を果たすための「知恵」が与えられました。

 もうお分かりの通り、ソロモン王が知恵ある者としての地位を得たのは、自分の力によるものではなく、神からのプレゼントだったのです。
 その後、ソロモン王は旧約聖書の「箴言」という書物を書くのですが、その中にちりばめられている「知恵」は、とうてい人間の頭で思いつくようなものではありません。
 その中の9章10節には、「主を畏れることは知恵の初め/聖なる方を知ることは分別の初め」と教えられています。

 若者はみな学校での学びを終えると、社会の一員としての責任を果たすべく、世で働きます。一人前の社会人として上手に生きるためには、処世術を身につけることが必要とよく言われます。
 確かに、私たちの周囲にも、生まれつき機転が効き、処世術にたけた人がいます。けれども、絶対者なる唯一まことの神の前に生きている以上、神の規準に照らし合わせながら自らを吟味する必要があるのではないでしょうか。

 どうか旧約聖書の「箴言」を読んでみてください。31章あるので、1日1章読めば一月で終わります。
 また、知恵を求めて神に祈ってみてください。あなたの人生は知恵に満ちた豊かなものとなるでしょう。