2016年12月4日(日) 神を畏れ敬うという恐れ

 おはようございます。新居浜教会の西田三郎です。

 主イエス・キリストはユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。
 母マリヤが主イエスを出産されたとき、その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていました。するとその羊飼いたちに天使が現れ、「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる」と言いました。天使が告げた大きな喜びとは、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」ということでした。天使は、「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」が、その救い主であると告げました。
 羊飼いたちはすぐにベツレヘムに行って、お告げの通りに「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」のイエス様を探し当てました。そして神をあがめ、賛美しながら帰って行きました。これがクリスマスの物語です。

 わたしが今朝お話ししたいのは、このクリスマスの物語の中で、天使が語った「恐れるな」という言葉です。羊飼いたちに天使が現れたことは、聖書には「すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた」とあります。そして天使は羊飼いたちに「恐れるな」と語りかけ、救い主の誕生という、民全体に与えられる大きな喜びを告げました。

 天使が現れ、主の栄光が周りを照らしたので、羊飼いたちは非常に恐れました。このような恐れは、彼らがこれまで経験したことのないような恐れです。彼らは、これまで感じたことがないような恐れを覚えたのです。このような恐れは、彼らが神様の御前に立つことによって引き起こされた恐れです。神様の栄光に照らされたことによる恐れです。
 これはただ単に、驚いたというのではありません。彼らは神様の栄光の前に立たされて、自分が弱い者であり、罪深い者であることを思い知らされたのです。そういう恐れです。

 私たちは自分の生活や、現在の社会の不安な状況の中で、いろいろなことに恐れを覚えます。でもそのような恐れは、神様の前で自分の弱さや罪が示される恐れではありません。羊飼いたちの恐れは、神様を恐れるという恐れです。
 私たちも、この社会も、このような恐れを失っています。神様を恐れるという恐れがあることすら忘れてしまっています。そして羊飼いたちのように神様を恐れる恐れを失っていることが、現在の私たちと、この社会の最大の問題です。

 今の私たちに本当に必要なことは、神様の前でのこの恐れです。神様を恐れる思いをもつことです。つまり羊飼いたちが覚えた恐れを私たちもいだくことなのです。

 神様の前で恐れを抱くというのは、神様を恐ろしい方として怖がることではありません。羊飼いたちも恐ろしい怪物に出会って恐れたのではありません。
 彼らは神様の栄光に照らされたのです。人間を越えた、神様の力、清さ、正義、真実に触れたことによって、恐れたのです。
 彼らは神様を怖がったのではなく、神様を畏れ敬ったのです。

 私たちが神様を畏れ敬うという恐れにとらえられるとき、神様は私たちにも「恐れるな」という声をかけてくださいます。そして、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」という、クリスマスの大きな喜びを告げてくださいます。