2016年7月17日(日) 主こそ私たちの避け所

 おはようございます。香川県坂出市で牧師を務める、吉田崇です。
 大地震などの災害は、人間や人間の作った物の限界を私たちに痛感させます。

 東日本大震災の時の津波は、海のコンクリート堤防を壊し、家を次々と押し流していきました。
 4月に発生した熊本地震においても、最新の基準に基づいて耐震補強をしていた建物ですら、震度7の揺れに立て続けに見舞われたことで壊れてしまったことが報じられています。
 これを聞いて私は、この地上の形あるものに「絶対安心」というものはないのだな、という思いを今一度新たにしました。
 そうなると、この地上では一生何の安心も得られないまま生きていくしかないのか、と思われるかもしれません。

 それに対して、聖書の詩編46編にこういうみ言葉があります。
 「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない、地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも、海の水が騒ぎ、沸き返り、その高ぶるさまに山々が震えるとも」

 聖書で示される天の父なる神様は、目には見えない霊の神様です。ただそれだけに、いついかなる時にも、いかなる場所であっても、神様は私たちのそばにいてくださることができるのです。
 そこで詩編の作者は、地震、山崩れ、津波、といった大変な事態に見舞われた時にも、天の父なる神様は必ずそばにいて助けてくださる、と確信することができたのです。

 天の父なる神様が私たちを滅びから救い、助けようとなさるご意志は、イエス・キリストというお方に最も鮮やかに示されています。
 私たちは生まれながらには天の父なる神様に背を向けてしまい、神様を頼って生きようとは思いもしなかった者でした。
 神様に造られながら神様に対して反抗的だった私たちなのに、神様は私たちが滅びの死を迎えることを望みませんでした。そのために、神様はひとり子イエス・キリストを私たちのもとにお送りくださり、十字架によって神様に反抗していた罪の心を砕いてくださいました。神様は、イエス・キリストを救い主と信じる者を神の子として迎え入れてくださり、天の父として、私たちに愛の手を差し伸べ助けてくださると約束されたのです。
 
 ここで、神様が助けてくださるとは、私の身の回りで何の災いも起こらなくなるということではありません。苦難は私たちに訪れます。一度死を迎えることになるかもしれません。けれども、天の父なる神様は、その苦難や死によって私たち一人一人の存在を無になさるとか、滅びに突き落とすことはないということです。
 かえって私たちにとっての益にまで変えてくださることもおできになるのです。

 皆様も、イエス・キリストを人生の安心、平安の源としてくださいますよう、心からお勧めいたします。