2016年7月10日(日) 主の眼差しは人目につかぬ所にも
おはようございます。香川県坂出市で牧師を務める、吉田崇です。
私たち人間は、世の中で起こる出来事にまんべんなく注目できているでしょうか。よく注目する出来事がある一方で、ほとんど注目しない出来事もあるのではないでしょうか。
4月に熊本を中心に大きな地震があったのと同じ頃、実は南アメリカのエクアドルという国でも大きな地震が起き被害が出ていました。けれどもエクアドルの地震被害について日本ではなかなか注目されないのが現状です。
また熊本地震についても、被災地の全てを余すところなく注目しているかと言われれば、そうとは言えないのだと思います。実は大分県でも少なからず被害が出ていて、余震が続いています。熊本県の中でも、注目が集まる所とそうでない所が出てきています。こうしたことは、阪神淡路大震災、新潟中越地震、東日本大震災など大きな災害が起こるたびに指摘されてきたところです。
出来事に限らず、人に対しても、よく注目する人もあればさほど注目しない人もいる、というのが現実だと思います。派手なことをして強烈な印象を残す人、すごい業績をあげる人には注目するが、そうでない人にはなかなか目を向けないということがあります。目を向けてもらえない人々は、周りに助けを求めてもなかなか応えてもらえないで苦しむことになります。
それに対してイエス・キリストは、世間からなかなか顧みてもらえなかった人々のもとに、進んで歩み寄ってくださるお方でした。
イエス・キリストがお育ちになったのは、イスラエルという国の北の端、ガリラヤという片田舎でした。「ガリラヤから何のよいものが出ようか」と他から馬鹿にされていた地域でお育ちになりました。そして当時の社会でつまはじきにされていた人々に、愛のまなざしを注ぎ、友となってくださったのです。またひどい失敗をしてしまい、普通なら人々の信頼を失って見放されてしまうような人をも、イエス・キリストは見捨てることなく、愛をもって接し続けてくださったのです。
キリスト教会には、これまでなかなか周りから目を留めてもらえなかったけど、イエス様に目を留めていただき、友となってくださって愛を注いでいただいた、そのおかげで今がある、という人々が集っています。
そしてイエス様がしてくださったように、私もできる限り日の当たらない所にも目を注ぎ、誰であってもまんべんなく心にかけて生きていきたい、と願いながら生きています。
番組をお聞きの皆様も、キリスト教会に足を運んでくださり、イエス・キリストの暖かな愛のまなざしに触れていただきたいと心から願っています。