2015年10月11日(日) すべては神の御手により〜ハイデルベルク信仰問答に学ぶ

 おはようございます。南与力町教会の坂尾連太郎です。
 皆さんは「摂理」という言葉をご存知でしょうか。今朝はこの「摂理」について、「ハイデルベルク信仰問答」という書物から学んでみたいと思います。

 第27問に「神の摂理」について次のように教えられています。
 「神の全能のいま働く力です。神はこの力によって、天と地と、その中にあるすべての被造物を、いまも、手で支えるように、保持しておられます。」
 神様の全能の力は今も働いています。その御力によって、神様は世界とその中のすべてのものを、手で支えるように、保持し、統治しておられる。それが「神の摂理」ということです。

 では具体的に神の摂理の御業はどのようなところに現われているのでしょうか。この信仰問答は次のように続いています。
 「木の葉も草も、雨もひでりも、豊かな実りの年も実らぬ年も、食べ物も飲み物も、健康も病いも、豊かさも貧困も、これらすべてが、偶然にではなく、慈しみ深き父としての神の御手から、わたしたちに届くのであります」。

 この言葉から神様の摂理を信じるということは、単なるご利益信仰ではないことがわかります。ご利益信仰とは、自分が利益を得るためだけに信じる信仰です。もし御利益が得られず不幸なことが起こるならば「神は無力であり、信じていても無駄だ」ということになるでしょう。しかし、神様の摂理への信仰はそのようなものではありません。良いことも悪いこともすべてが神の御手からわたしたちに届くと信じるのです。
 ここに出てくる「雨、食べ物、健康、豊かさ」などはわたしたちにとって良いものでしょう。一方、「ひでり、実らぬ年、病気、貧困」などはわたしたちにとって悪いものであり、できれば受け取りたくないものです。しかし、そのようなものも含めて、すべてが神様の御手から、しかも慈しみ深い父である神の御手から届くと信じる。それが神様の摂理を信じるということです。

 なぜそのように信じることができるのでしょうか。それは世界を創造され、今もすべてを支配しておられる神様が、御子イエス・キリストのゆえにわたしたちの父となってくださっているからです。

 ではそのような神様の摂理を知ることによって、わたしたちにはどのような益があるのでしょうか。そのことが続く第28問で教えられています。主に三つの益があると言われています。

 一つ目は「苦難のときには、耐え忍ぶことができる」ということです。
 わたしたちにふりかかる苦難や災いが偶然や運命によるものであるならば、わたしたちはただ諦めるしかなく、その先に希望を見出すことは難しいでしょう。しかし、それが父なる神様の御手によってもたらされるものであることを知るならば、苦しみの中にあっても神様に望みを置き、忍耐することができるはずです。

 二つ目の益は「幸福のときには、感謝することができる」ということです。
 日々の生活の中でわたしたちに必要なもの、良いものを与えて下さるのは神様ですから、わたしたちはその神様に感謝をささげます。

 そして三つ目の益として次のように言われます。
 「将来、起こるすべてのことについては、わたしたちの真実の父なる神を心から信頼して、どのような被造物も、神の愛から、わたしたちを引き離すことができないという堅固な確信を持つことができるのです」。
 
 わたしたちには将来何が起こるかわかりません。いつ災害が起こるかもわかりません。しかし、神様の摂理を信じるならば、わたしたちは将来について心配したり、思い悩む必要はないのです。わたしたちの真実な父なる神様に心から信頼し、すべてを委ねることができるからです。そして「世界に存在しているどんなものも、神の愛から、わたしたちを引き離すことができない」。そのことを確信できます。なぜなら、世界にあるすべてのものは、神様の御手の中にあり、神様の御心でなければ、起きることも、動くこともできないからです。
 このように神様の摂理を信じることは、わたしたちに豊かな益をもたらしてくれるのです。

聖書の言葉
マタイによる福音書6章32節、33節
「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」