2015年10月4日(日) わたしの神、わたしの父 〜ハイデルベルク信仰問答に学ぶ

 おはようございます。南与力町教会の坂尾連太郎です。

 キリスト教では三位一体の神さま、すなわち父と子と聖霊なる神様を信じています。今朝はその最初に出てくる、「父なる神様」について学びたいと思います。
 そのために「ハイデルベルク信仰問答」という書物から学びます。これは1563年にドイツのハイデルベルクという町で作られたものであり、キリスト教の教えを要約したものです。美しい言葉で記されたこの信仰問答は、今も多くの人々に愛され、世界各地の改革派教会で用いられています。

 その中の第26問で父なる神様について教えられています。その答えは次のように始まります。
「わたしたちの主イエス・キリストの永遠なる父は、天と地とその中にあるすべてのものを、無より創造し、これらを、永遠の熟慮と摂理によって、保持し、統治しておられます」。

 わたしたちが住んでいるこの世界は偶然にできたものではありません。神様が御言葉を語ることによって、何もないところから創造されました。また神様は世界を創造された後、それを放っておかれるのではなく、今もすべてのものを保ち、支配しておられます。この神様の御手の中で世界は今も存続し、動物や植物、そしてわたしたち人間も生かされているのです。

 そして答えは次のように続きます。
「この父なる神が、御子キリストのゆえに、わたしの神、わたしの父であり給うということであります」。
 これは今日のところで大切なポイントです。世界を造り、今も支配しておられる神様はわたしたちから縁の遠い、よくわからない神様ではありません。そうではなく「わたしの神、わたしの父」と呼ぶことができる神様です。それは御子イエス・キリストの故です。わたしたち人間はもともと神様に造られたものに過ぎません。しかも、神様に背いて罪を犯す存在であり、本来、神様の子どもではないのです。しかし、神の御子であるイエス・キリストがわたしたちを罪から贖い出し、神様の子どもとしてくださいました。だからそのイエス様を信じる者は、神様に向かって「わたしの神、わたしの父」と呼びかけることができるのです。神様とのそのような親しい、愛の関係に入れられています。

 そして答えは次のように続きます。
「わたしは、この父を信頼していますので、父がわたしの体と魂の、すべての必要を満たし、この世の、嘆きの谷で、わたしに送り給うすべての禍(わざわい)をも、わたしの益に変えてくださることを信じて疑いません。」

 わたしたちは生きていく上で「生活に必要なものがちゃんと満たされるであろうか」と思い悩み、不安になってしまうことがあるかもしれません。しかし、ここでは「わたしは、この父を信頼していますので、父がわたしの体と魂の、すべての必要を満たしてくださることを信じて疑いません」と力強く告白されています。

 またわたしたちは、人生でさまざまな災いや苦しみに遭遇することがあります。「嘆きの谷」を歩むことがあるのです。そのような時、「神がおられ、全能であるならば、なぜこのような悲惨や不幸が起こるのか」という神への疑いが起こってくるかもしれません。
 しかし、この信仰問答は「父がこの世の、嘆きの谷で、わたしに送り給うすべての禍をも、わたしの益に変えてくださることを信じて疑いません」と告白しています。それは「父は、全能なる神として、これらのことがお出来になりますし、また、真実な父として、これらのことを欲し給うからであります」。

 全能なる神様はわたしたちの体と魂のすべての必要を満たし、すべての禍をも益に変えてくださる力を持っておられます。またそれだけではなく、わたしたちの「真実な父」として、そうすることを望んで下さっているのです。
 このような神様を「わたしの神、わたしの父」として信じ、信頼して歩んで生きる。これは本当に幸いなことです。

聖書の言葉
ガラテヤの信徒への手紙3章26節
「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです」