2015年9月27日(日) 終活をしてますか

 皆さんご機嫌いかがですか。私は、高知県下でただ一つのミッションスクール、清和女子中高等学校の校長をしています、黒田朔と申します。今日は、あなたも「終活」してますか、ということでお話したいと思います。

 「しゅうかつ」といっても、就職活動のことではなくて、「人生の終わりのために行う活動」「終活」なんですね。
 例えば、保険に入り、遺産相続を考え、延命治療について話し合い、そしてそれらを遺言として書くことです。確かに、終活本と言われているものを一冊手に入れて、その目次を見るだけで、大変参考になります。機会があれば、終活についての講演会に行って、書店で終活本を手にし、あるいは、自分のエンディングノートを書いてみる。そういうのも、なかなかいいもんだと思います。

 でも、わたしは終活の講演会に行ってみましたが、また本も読んでみましたが、一つ一つは確かにいいんですけれども、何か肝心なことが抜けているように思えてなりませんでした。

 ある会社の「終活」の紹介文にこう書いてありました。「誰にでもある心配事、相続、保険、お墓、お葬式のことなどを事前に考え準備しておくことで、不安が解消され、いきいき、はつらつとした、おもしろい人生の後半戦を送ることを『終活』と考えます。」と書いてあったんですね。
 確かに、相続、生命保険、お葬式などは大切です。しかし、人生の最大の不安は、死そのものじゃないですか。死が現実となる時に、受けとめ方、どう受けとめたらよいかについては、全く触れられていないのです。

 高知では、毎日TVで「南海トラフ」の大地震の警告ニュースが流れています。その時には、「あなたは、避難場所が分かってますか」、「地震が起こった時、避難ができるその準備は出来てますか」、その2つを聞いています。「避難場所を知ってるか、そして準備はできてるか」。私達も、その2つが大事だと思うんですね。

 ホノルルの高知城として親しまれている、マキキ教会で、その避難場所を知っていて、その準備をしていたご夫妻がいました。モーストさん、というご夫婦なのですが、永年の夢が実現して、引退しハワイに住み、そしてマキキ教会のメンバーになって、ボランティアで、お年寄りの送迎係を楽しんでらっしゃいました。
 あるクリスマスの頃、ご主人のフランクの姿が見えなくなったのです。聞くと、癌のために入退院を繰り返し、とうとう、自宅ホスピスケアを今は受けておられる、とのことでした。
 
 或る日、「フランクがもう直ぐ逝ってしまう。それがつらい」と悲しむ奥様のオードリーに、友だちの一人が、「そのこと彼と話さなきゃだめよ。」というふうに、言っていました。
 そして彼女はその晩、フランクに話したそうです。「あなたと会えて良かった、結婚してくれてありがとう。でも、あなたが逝くのがつらい」。彼と、その話をまともにして、抱き合って泣いたそうです。
 夫婦としてお互いの心に触れ合うことの出来た二人は、その後元気になりました。
 
 ところがまたしばらくして、「これ以上苦しむ彼を見るのはまたつらい」、そう言うオードリーに、友達はまた言いました。「そのことも二人で話しなさい」。そして、オードリーはフランクにその夜言ったそうです。「わたしのために頑張ってくれてありがとう。苦しむあなたをこれ以上見ているのは私はつらい。もう大丈夫だから。天国で会えるから、逝ってもいいよ」。それを聞いたフランクは、その明け方、旅立ったそうです。

 それから何年かして私は牧師として、今度はオードリーのお葬式をしながら思いました。あぁ、今は天国で、再会しているんだな。あのお二人の嬉しそうな顔を思い浮かべて、あぁ、これこそが良い終活をした二人なんだ、夫婦なんだ、と思ったことでした。

 清和女子中高等学校では年に3回、避難訓練をします。今回は負傷者が1名出たことを想定して避難します、というようなことなんですね。
 訓練が終わると、指導して下さった消防士がこう言いました。「先生方の生きている間に、地震はないかもしれません。しかし、生徒さんたちの人生には必ず地震が来ます。」
 
 そうなんですね。しかし、それよりも、もっと確かなことは、死は、先生にも生徒にも、誰にでも必ずやってきます。そして、そのすべてが取り去られる時に、自分を守るものを、ちゃんと見つけ、どこへ逃げ込んだらよいかがわかっている。それが、準備完了の時。その準備が全部終わった時、私達は、終活をした、ということではないかと思います。
 あなたの終活はできていますか?

 それでは、また、この次お会いする時まで、御機嫌よう、さようなら。