2015年9月20日(日) 抵抗力を身につけよう

 皆さんご機嫌いかがですか。私は、高知県下でただ一つのミッションスクール、清和女子中高等学校で、校長をしています、黒田朔と申します。今日は皆さんと、抵抗力を身に付けよう、ということで考えてみたいと思います。

 1998年以降、14年連続で3万人を超えていた自殺者が、2013年、2年連続で3万人を下回った、とうれしいニュースが届いています。
 それにしても、イラク戦争11年間で、米軍の戦死者が32,237人だと聞きますと、平和憲法を掲げ、経済大国だと言われながら、日本はまるで、戦争状態であるかのように思います。しかも、自殺者全体の7割が、成人の男子だというのです。平和で豊かな日本で、働き盛りの、実力を誇るはずの男達が、自殺者のダントツに多いグループだと言うのです。

 そこで政府は、「経済あるいは生活問題による自殺者激増」への対策として、雇用の拡大、金融対策、増加する自殺者予備軍とも言うべきうつ病へのメンタルケアなどを取り上げようとしています。勿論それら一つ一つは大切です。しなければなりません。しかし、果たしてそれだけで良いんだろうかと思うのです。
 何故なら、雇用増大を図り、経済苦を無くし、うつ病対策が出来たとしても、適当な例ではないかも知れませんけれども、それでは過食気味の人に対して、安心してこれも食べて大丈夫だよ、食べ物の準備をしているようなものじゃないかなと思います。
 もしその自殺に陥ってしまったような人達が、場所を変えてイラクでいたとしたら、自殺など考えることもなく、たくましく生きていったんじゃないか、とさえ思うのです。

 多くの人が自殺するのは、戦後の日本が「大きいことはいいことだ」という方式で、強いこと、早いこと、稼ぎが多いこと、算数の点がよいこと、そういったものを追い求めて、小さくて遅く、成績がさえず、給料が低い人は、まるで、社会的敗残者、人間的な値打ちまで無いかのように考えてしまう、そういった考え方や生き方、子育て法にあるように思えてなりません。
 豊かさばかりを追い求めたために、貧しさへの抵抗力を失ったんじゃないかと思うんです。今必要な事は、戦後70年と言われる経済復興の中で追い求めてきた、大きく、豊かで、強いこと、早いこと、それだけを良いことにして、それ以外はだめ、というふうに考える、そういった考え方、生き方、子育てを見直す時じゃないでしょうか。

 口に絵筆をくわえて描いた絵に、詩を添えた作品展「花の詩画展」で多くの人々の励ましとなっていらっしゃる星野富弘さんは、念願の体操の先生になって数ヶ月目に、大怪我をして、体の自由を失ってしまいました。彼はその時こう言うんです。「かつて私を強くしてくれたと思っていた、さまざまなものはいったいなんだったのだろうか。その強さはどこへ行ってしまったのだろう。・・私が強くなろうと思ってやっていたいろんなことは・・私を強くしてくれていたのではなくて、・・弱さを認めることが恐ろしくて、強くなったと自分をごまかして言い聞かせていたのではなかったか・・自分の弱さを包み隠す何ものもなくなってしまった今、体を動かせなくなった今、でも、もしかしたら私は本当の自分に、戻ったのではなだろうか」そんなふうに言っているんですね。
 そしてこんな詩を添えていました。
「いつか草が 風に揺れるのを見て 弱さを思った
今日 草が風に揺れるのを見て 強さを知った」

 弱さを受け入れる強さを身に付けること。弱さも、私達が生きている大切な現実の一部であることを知って、それを受け止め、あるいは教えることが大事ではないかと思うのです。
 弱さを知ることで、人の痛みがわかり、助けられる嬉しさを通して、助けあうことの素晴らしさを知る。これが、もっと大切な、弱さへの抵抗力を身に付けることではないかと思います。
 貧しさへの抵抗力、これは、私達の大切な身に付けるべき時ではないかと思います。豊かさと同時に、貧しさへの抵抗力を忘れないようにしたいものだと思います。

 聖書の言葉に、このようにあります。
 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときこそ、私は強いからです。(2コリント12章9節、10節・新改訳)

 神さまの導きと祝福をお祈りしています。
 それではまたこの次お会いする時まで、御機嫌よう、さようなら。