2015年7月19日(日) 真の神を知る
おはようございます。松山教会の久保浩文です。
私たちのこの世界には実に多くの「神々」が存在しています。「安産の神」「合格祈願の神」など様々な願い事にふさわしい神々が至るところにあり、人々は、その目的と願い事をかなえてくれる神々のところに詣でて祈願をします。とくに日本は「八百万の神」と言われるほど、多くの神々で満ちあふれています。酒蔵にも神棚、ラーメン屋さんの天井の隅にも神棚、都会の真ん中、大企業の本社ビルの屋上にも、お社があったりします。
しかし、聖書には「現に多くの神々、多くの主がいると思われているように、たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。」とあります(1コリント8:5-6)。
神とは、ただお一人、しかも、全世界の創り主であり、私たち人間を含めて生きとし生けるすべての物を造られ、命を与えておられる御方です。神はご自身の全存在と全能力において、あらゆる場所に存在しています。ですから、私たちが世界中のどこにいても唯一かつ全能なる神を信じて、神に助けを求めて祈るならば、神はそのすべての祈りをお聞き上げくださるだけでなく、必ずや祈り求める者をお見捨てにならずに時宜に適った助けの御手を差し伸べてくださるのです。
神は、私たち人間を各々一人一人御心に従って、ご自分のご計画に基づいてこの地上に生命をお与えになられました。神が創造主ということは、ご自分のお造りになられた被造物をすべてご存じだということです。神は、私たちがどこにいようと、私たちの居場所をご存じであるだけでなく、私たちの心の思い、計画、およそ人の目には覆い隠されている事柄であっても、すべてお見通しです。
このような神は、ある意味、「恐ろしい」と感じるかもしれません。しかし、全能なる神は、ご自分の御子イエス・キリストをこの地上に私たちと同じ「人」としてお遣わしくださって、ご自分がどのようなお方であるかを、肉眼で見ることができるようにして下さいました。そして、イエス・キリストの口を通して、ご自分のご意思、御言葉を語ってくださいました。
イエス・キリストは「わたしを見た者は、父を見たのだ。…わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。(ヨハネ14:9-10)」と言われました。
イエス・キリストは、病気の人や様々な弱さを抱えている人達の傍らに寄り添われました。罪人と呼ばれていた人のところに行って客となられました。イエス・キリストの地上のご生涯そのものが、神とはいかなる御方であるかをあらわしています。神は、「罪人を招いて悔い改めさせる」お方であり、ご自分が私たち人間の罪を一身に背負って十字架という呪いの刑罰を受けてくださったお方です。
私たちは、このイエス・キリストによって神が全知全能のお方であると共に、愛と赦しの神であることも知ることができるのです。真の神は、ただお一人であり、私たちを造られたお方であり、愛して救ってくださるお方です。この神の存在を信じ、神の愛を信じて生きるならば、人は希望をもって祈り求めることができるのです。