2015年6月21日(日) 主イエスと出会った人々〜マグダラのマリアの場合

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
 新約聖書の福音書に記されたキリストと出会った人々の中には多くの女性がいました。その中で、マグダラのマリアと呼ばれる女性は、四つの福音書すべてに登場します。しかし、その生涯がどんなものであったのか、聖書の中にはほとんど記されていません。けれども、その名前が後世にまで知られているという点では、他の女性たちとは違っています。

 たとえば、この番組でも取り上げたことがあるナインの町に住むやもめは、亡くなった一人息子をキリストによってよみがえらせていただきました。けれども、その女性の名前を知っている人は誰もいません。同じように、シカルというサマリアの町の井戸端で、長々とキリストと会話を楽しんだサマリアの女の名前は、今となっては誰も知りません。

 そうした女性たちを差し置いて、後世にまでその名が知れ渡っているマグダラのマリアは、やはり特別な人物でした。「特別な」という意味は、特別にこの人が優れていたという意味ではありません。むしろ、この世の基準から言えば、その名前など記憶されることがなかったかのような人でした。神の目から見ても特別に優れていたというわけではなさそうです。それにも拘わらず、このように名前が知れているという点で、特別な恵みをいただいていた人ということができます。

 聖書の中に登場する人々は、言ってみれば、皆、特別に優れていたので名前が後世に伝えられている名誉をいただいたのではありません。そうではなく、むしろ、何も功績がないのに、神からの恵みをいただいて、特別な役割を担った人々でした。

 さて、このマグダラのマリアの名前が登場するのは、どの福音書でも、キリストの生涯の正に終わりの部分です。けれども、キリストとの出会いは、その時が初めてではなかったようです。
 マルコによる福音書16章9節には「このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である」と解説されています。「七つの悪霊」と表現されるところから、このマグダラのマリアが、キリストと出会うまでに味わった苦しみがどれほど大きなものであったのか、想像がつくと思います。

 そのマグダラのマリアの名前が知れ渡ったのは、七つの悪霊を追い出していただいたからではありません。そうではなく、キリストの十字架を目の当たりにして、キリストが十字架上で息を引き取り、墓に葬られるところを最後まで見届けたからです。
 いえ、そればかりではありません。日曜日の朝早く、復活されたキリストに最初に出会ったのも、このマグダラのマリアです。キリストの弟子たちを差し置いて、この女性であるマグダラのマリアこそが、キリストの復活を最初に目撃した人物でした。
 キリストが確かに十字架の上で死を遂げられたことを目撃したこの人が、キリストが死の力を打ち破ってよみがえられたことを目撃した人物だったのです。

 しかも、男性ではなく女性であるこの人が、キリストの復活を最初に証言する恵みをいただくことができたということの意味は計り知れません。  聖書は、女が取ってアダムに与えた善悪を知る木の実によって、罪がこの世に入り込んだことを描いています。しかし、キリストが罪の支払う報酬である死に勝利されたよき知らせをこの世に最初にもたらしたのも、この女性であったと告げているのです。