2015年5月24日(日) 聖霊が降るとき

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
 きょうはペンテコステというキリスト教会にとって特別な日です。といっても、あまりなじみのない日かもしれません。キリストの生まれたクリスマスのことは、もうずっと前から日本でもよく知られています。イースターはここ最近、テーマパークのイベントのおかげで、日本でも名前だけは耳にするようになったのではないかと思います。イースターはイエス・キリストが墓の中からよみがえられた復活の日です。ところが、ペンテコステと呼ばれるきょうのこの日を知っている人は、クリスチャンでもなければ、そんなに多くはないでしょう。

 この日の由来は、イエス・キリストの約束から始まります。イエス・キリストは、ご自分が地上での業を終えて父なる神のもとにお帰りになる前に、別の助け主である聖霊を遣わすと予告してくださいました。そのことが実現した日がペンテコステの日です。その日に起こった出来事が、新約聖書の「使徒言行録」の2章に詳しく記されています。

 今朝は、ペンテコステの出来事そのものについてではなく、その出来事がもたらした事柄についてお話ししたいと思います。実は、先ほど触れた新約聖書の「使徒言行録」は、この日の出来事ばかりか、まさにペンテコステの出来事がもたらした結果が記された書物です。

 先ほども言いましたが、ペンテコステは、キリストの約束通り、キリストを信じる者たちの上に聖霊が降臨した日です。
 ある日、キリストは集まる弟子たちにこうおっしゃいました。
 「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒言行録1:8)

 十字架の死から復活したキリストにまみえた弟子たちには様々な思いがあったと思われます。ある者たちは、キリストの復活に力を得て、キリストの福音をもっと宣べ伝えたいと、そう考えた弟子たちもいたことでしょう。しかし、弟子のある者たちは、今派手に活動をすれば、結局は自分たちも十字架刑に処せられるかもしれない、と慎重に思う者たちもいたかもしれません。
 あるいは、福音の宣教などという考えを飛び越えて、もう今にも救いが実現して、神の国が完成すると考えた弟子たちもいたことでしょう。

 しかし、イエス・キリストは先ほど引用した言葉を述べられました。
 「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

 第一に、この言葉には、救いの完成の前に、弟子たちがキリストの証人として働くべき時があることを告げています。そのために、彼らはイエス・キリストから弟子として選ばれた人たちでした。
 第二にキリストの証人としての働きは、聖霊の力に支えられてなされるということです。「使徒言行録」に記された教会の歩みは、いつも人間の力を超えた聖霊に導かれたものでした。
 第三に、彼らが証人としてはたらくその範囲は、地の果てにまで及ぶものです。一民族の救いのためではなく、文字通り全世界に住むあらゆる人が、彼らの働きを通して、キリストの福音を耳にすることができるのです。

 ペンテコステの日に聖霊が降ったのは、まさにそのキリストの約束が実現へと一歩を踏み出した日です。そして、ついにはこの日本でもキリストの福音が宣べ伝えられ、だれでも救いの約束を聞くことができるようになったのです。